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大瀬戸一馬の“勝負強さ”を見よ!
「短距離界エース候補」に返り咲け。
posted2015/08/21 10:05
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
大瀬戸一馬にとって、北京で行なわれる世界陸上は初めての大舞台であり、さらなる飛躍のための試金石でもある。
今でこそ桐生祥秀への注目が集まり、日本短距離陣では彼の存在が目立っているが、もともとは大瀬戸こそが、日本短距離の将来を背負うであろうエース候補として大きな期待を集めた選手だった。
経歴を振り返れば、それも納得する。
高校2年生で出場した世界ユース選手権では、100mで銀メダル。短距離では日本初のメダルだった。
高校3年生になった2012年。4月の織田記念陸上では、予選で10秒23をマークした。これはオリンピック参加標準Bを破るタイムである。
さらに決勝では、北京五輪の男子4×100mリレーで銅メダルを獲得した塚原直貴と高平慎士らに先着して3位となったのである。
その年の夏には、ロンドン五輪が控えていた。織田記念での走りによって、大瀬戸は代表を狙える位置につけたと言ってよかった。男子短距離では28年ぶりの高校生五輪代表もありえるのではないかと、注目が集まった。
しかし本人の意向により高校総体出場を優先し、オリンピックを目指すなら出なければならない日本選手権を欠場したことで、五輪出場は実現しなかった。それでもこれらの活躍により、期待がさらに高まるのは自然な流れだった。
成績もさることながら、スタートから一気に加速するスピードが能力の高さと大いなる可能性を感じさせていた。
大学進学後に停滞感が漂ってはいたが……。
しかし大学に進学後、まっすぐに進んできた大瀬戸の足が止まった。
大学1年生の2013年は大会でも思うような成績が残せず、タイムとしても10秒34が100mでのこのシーズンのベスト。停滞感が漂うのは否めなかった。大学進学とともに、高校まで過ごした福岡を離れた環境の変化が原因だったのか。練習方法などの試行錯誤が影響したか。あるいは、一つ下の学年の桐生が急激な伸びを見せてきたことも焦りになったか。