オリンピックへの道BACK NUMBER
リオ五輪へ、日本シンクロの正念場。
井村コーチ復帰後初の世界水泳へ!
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2015/07/12 10:40
1984年のロサンゼルス五輪以来、女子のみが夏季五輪の種目となっているシンクロ。メダルを逃したロンドンの雪辱は、リオの地で果たさなければならない。
中国を強国に育て上げ、昨年日本に復帰。
その間に台頭したのが、依頼を受けて井村氏がヘッドコーチに就任した中国だ。北京では初となるチーム銅メダルを獲得。ロンドンでもデュエットで銅、チームで銀メダルを獲得。北京の前まで世界の中堅国に過ぎなかった中国は、いまや堂々たる世界の強豪国へと変貌したのである。
そして日本が再建のために切ったカードが、井村氏の再登板だった。
井村氏は、実は北京五輪のあと一度中国のヘッドコーチを退任している。その後、ロンドン五輪へ向けて中国で再登板となったが、そこには、北京五輪での日本の演技を見て、「もう一度日本を立て直す手伝いをしたい」という思いがあったからだ。実際、公にその意志を示していたが、日本から依頼がなかったため、中国へ戻った経緯がある。
そもそも井村氏が中国へと渡った背景には、日本のシンクロナイズドスイミングの演技を世界の主流にしたいという思いがあった。「最強国ロシアの演技がスタンダードとされ、ロシア流でなければ点数が出にくい流れを変えたい」と中国で指導にあたっている頃、語っていた。
ただ他国での指導ということで、当時は国内からの反発も強かった。「考えられないことです」、「時期と相手があるでしょう」と語る日本水泳連盟幹部もいたし、中国でのコーチ就任を批判的に捉えていた関係者たちがいた。北京五輪後に井村氏に日本のオファーがなかったのは、そうした感情による部分もなかったとは言えない。
そんな井村氏が請われて日本代表のコーチとして復帰したのは昨春のこと。リオデジャネイロ五輪の出場権も危ういのではないか、という危機感に追い込まれたとき、頼るべき人は井村氏のほかに存在しなかった。
「まだ駄目だけど、駄目なりにレベルが上がった」
井村氏は現場に戻ると代表選手たちの肉体改造から手をつけ、以前より少なくなっていた練習量も増やすなど、改革に取り組んできた。今年1月には再びヘッドコーチに昇格し、世界選手権へ挑むことになった。
今年5月のジャパンオープンで「まだ駄目だけど、駄目なりにレベルが上がった」と一定の手ごたえは得つつも、再建の厳しさは実感しているはずだ。
日本の武器としていた同調性、切れといった部分を取り戻しきれるのか。失ったジャッジの評価を回復できるのか。
リオデジャネイロ五輪での復活のためにも、今回の世界選手権で、日本の復調を示さなければならない。
そういう意味で、どのような演技を見せられるか。この大会が試金石となる。