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セナ、琢磨、マンセル、可夢偉……。
鈴鹿はヒーローを生み出す夢の舞台。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2014/10/03 10:40

セナ、琢磨、マンセル、可夢偉……。鈴鹿はヒーローを生み出す夢の舞台。<Number Web> photograph by AFLO

小林可夢偉とナイジェル・マンセル。イギリスGPの前に会った2人の「鈴鹿の英雄」は、どんな会話を交わしたのだろうか。

スタンド総立ちの「カムイ・コール」は忘れられない。

 ドラマの主人公は、常に勝者だけとは限らない。勝利は手にできなかったが、勝者に負けない感動を観客に与えたドライバーも、鈴鹿では数多く生まれた。最近では、'12年に日本人として3人目の表彰台を獲得した小林可夢偉の走りがそうだった。表彰式が始まる前、スタンド総立ちとなっての「カムイ・コール」は日本人だけでなく、多くのF1関係者たちの胸を打った。

 '02年に入賞を果たした佐藤琢磨も、鈴鹿でヒーローになったひとり。その年の最終戦に組み込まれていた日本GPは、それまで一度もポイントを獲得することができないまま帰国した琢磨にとって、ラストチャンスだった。そして、琢磨はそのチャンスを見事生かして5位に入るのである。その走りがいかに価値のあるものだったかは、そのレースで優勝したミハエル・シューマッハーが「彼はもうひとりの勝者」と言って讃えたほどだった。

 日本人だけではない。セナとプロストがスタート直後の1コーナーで消え去った'90年の日本GPでは、重傷を負ったアレッサンドロ・ナニーニの代役として出場した苦労人ロベルト・モレノが2位表彰台を獲得。レース後のパルクフェルメで、自分を起用してくれたチームメートであり、母国の先輩でもあるネルソン・ピケに号泣して歩み寄るモレノの姿は感動的だった。

今年、鈴鹿にマンセルが帰ってくる。

 その鈴鹿に今年、特別な思いで帰ってくる男がいる。ナイジェル・マンセルだ。ウイリアムズ・ホンダ時代のマシンでデモ走行するためである。'92年にワールドチャンピオンに輝き、無冠の帝王のレッテルを消し去ったマンセルだが、心の中では寂寥感を味わいながら、現役を引退していた。

「F1では何勝も挙げたし、タイトルも獲った。でも、鈴鹿では勝てなかったから……」

 マンセルが鈴鹿で勝つチャンスは、何度もあった。例えば、'87年。チームメートのピケと激しいタイトル争いを繰り広げていたマンセルは、予選でクラッシュ。病院に運ばれて、タイトルと鈴鹿初勝利を棒に振った。'90年は上位3台がリタイアし、マンセルはトップを快走していたが、ピットアウト時にドライブシャフトを破損し、ステアリングを叩いて悔しがった。'91年はセナの巧みなブロックにしびれを切らしてコースアウト。タイトルを獲得した'92年はエンジンブロー。通算31勝を挙げながら、ついに鈴鹿で頂点に立つことなくF1を去った。

 そのマンセルを、鈴鹿は招待した。なぜなら、優勝することはできなかったかもしれないが、マンセルは鈴鹿での日本GPを大いに盛り上げたドライバーだからである。

 今年はどんなドラマが、そしてどんなヒーローが現れるのか。敗れざる者たちの、年に一度の戦いが幕を開けようとしている。

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