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また1人、F1を熟知する者が去った。
跳ね馬の重鎮モンテゼモーロが辞任。

posted2014/09/21 10:40

 
また1人、F1を熟知する者が去った。跳ね馬の重鎮モンテゼモーロが辞任。<Number Web> photograph by AFLO

左からジャン・トッド、ミハエル・シューマッハー、モンテゼモーロ、ルーベンス・バリチェロ。1993年のフェラーリの面々。まさに黄金時代だった。

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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AFLO

 イタリアGPが開催されていたモンツァのグランドスタンドに、見慣れない横断幕が掲げられていた。

「UGLY NEW CIRCUITS, UGLY CARS, NO ENGINE SOUND. F1 IS DEAD(迫力がない新しいサーキット、醜いマシン、音がないエンジン。F1は死んだ)」

 今季の新レギュレーション下で行われるF1への抗議である。

 しかし、モンツァに詰めかけたティフォシたちがF1の未来以上に案じていたのは、フェラーリの将来だった。なぜなら、地元イタリアでのレースを前に、フェラーリの会長を務めるルカ・モンテゼモーロが更迭されるという噂が日増しに強くなっていたからだ。

 結果が問われるプロスポーツにおいて、不甲斐ない成績を続けた選手や指導者、トップマネージメントが責任を取って、チームを去ることは珍しくない。昨年、23年ぶりに1シーズン通して表彰台を逃したマクラーレンは、チーム代表をマーティン・ウィットマーシュからエリック・ブーリエに交替。今年、前半戦不調だったフェラーリもチーム代表をステファノ・ドメニカリからマルコ・マティアッチに変更していた。

41年前、エンツォ・フェラーリのアシスタントとして。

 しかし、フェラーリの組織改革はそれだけにとどまらなかった。その後、エンジン部門のトップだったルカ・マルモリーニもシーズン半ばにチームを離脱。そして、ついに9月10日、フェラーリのトップであるモンテゼモーロが辞意を表明したのである。

 モンテゼモーロがフェラーリに加わったのは、いまから41年前の'73年のことだった。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリのアシスタントとなると、その翌年にはスクーデリア・フェラーリのF1部門のチームマネージャーに任命された。

 モンテゼモーロによって組織改革が進められたフェラーリは、ニキ・ラウダの活躍もあって'75年にドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権を制覇。フェラーリのタイトルは'64年以来、11年ぶりのことだった。

【次ページ】 シューマッハーらを擁し、ドリームチームを率いた。

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