ブラジルW杯通信BACK NUMBER
W杯初戦で勝点を得た'02年と'10年。
日本に必要な「情報戦」の仕掛け方。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2014/05/12 10:40
2002年の日韓W杯で日本に史上初の勝ち点、勝利、グループリーグ突破をもたらしたフィリップ・トゥルシエ。現在は中国スーパーリーグ、深セン紅鑽を指揮している。
ザックジャパンのスタメンはすぐに思い浮かぶ。
この原稿を書いている時点で、ワールドカップの登録メンバーは発表されていない。それでも、日本のスタメンはすぐに思い浮かぶ。不確定要素を含むのは現時点でピッチから離れている吉田麻也、内田篤人、長谷部誠のポジションだが、代役を捜し当てるのは難しくない。
コートジボワールを率いるラムシも、おそらくは同じことを考えているだろう。吉田の代わりを森重真人が務め、内田が欠場するなら酒井宏樹が右サイドを担い、長谷部の回復具合が芳しくなければ山口蛍が登場するのは、日本の映像を集めれば推測できる。ラムシだけでなく、誰にでも。
ヒディンクが感じた猜疑心と、秘策への恐怖感。
あとひとつだけ、古いトピックを添えておきたい。
'06年のワールドカップ初戦で対戦したオーストラリアのヒディンク監督は、日本戦が始まってすぐに「やったぜ!」と思ったという。頭のなかに貼り付いて消えなかった猜疑心が、取り除かれたからだった。
彼が懸念していたのは、日本の前線だった。ワールドカップの4カ月前に行なわたアメリカ戦に、日本が1トップで臨んでいたからである。
久保竜彦の1トップは機能したと言えず、その後のテストマッチは4-4-2と3-5-2を併用するパターンへ戻った。それでも、オーストラリアとタイプ的に近いアメリカ戦で1トップを試した事実は、ヒディンクの胸でしこりのように凝り固まっていた。自分の知らないところで磨きをかけ、とっておきの秘策として持ち出してくるのではないかとの疑念は、キックオフまで消えることがなかったというのだ。
ザックことアルベルト・ザッケローニ監督のチームは、自分たちの強みをぶつけることで勝利をつかもうとしている。おそらくそれは、日本サッカーに関心を抱く者の理解を得られているはずだ。