日本代表、2014年ブラジルへBACK NUMBER
怪我と移籍、2つの悩みを越えて。
齋藤学、W杯シーズンへ横浜で始動。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2014/02/21 10:50
天皇杯決勝のピッチには、吹っ切れた表情の齊藤学がいた。いつかブラジル、そして欧州へ羽ばたく時の準備は、横浜で着々と進んでいる。
苦悩からの解放――。
「ハマのメッシ」こと齋藤学。
2014年のシーズン開幕を目の前にして、マリノスタウンにはピッチで躍動する「背番号11」の姿があった。
彼は今オフ、オファーが届いたドイツのヴォルフスブルクに移籍するか、契約を残す横浜F・マリノスに残留するかで注目されていた。時間をかけて出した結論は「マリノス残留」。そして1月には、悩まされてきた左足首の遊離軟骨除去手術を受けている。
移籍とケガ。2つの苦悩をクリアにし、ザックジャパンの「切り札候補」齋藤は気持ちを新たにしてW杯シーズンに臨もうとしている。
12月にヴォルフスブルクからオファーを受けて以降、彼は悩みに悩んでいた。
海外挑戦は少年時代からの夢。「チャンスがあるうちに行ったほうがいいぞ」と背中を押してくれるアドバイスも周囲から受け、ヴォルフスブルクでプレーするイメージも掴むことができていた。でも一方で、ケガのことが頭から離れなかった。
J終盤、そして天皇杯の裏にあった怪我との戦い。
10月の日本代表セルビア、ベラルーシ遠征で左足首を痛めていたものの、軽症で済んでいた。それを「ガツッとやってしまった」のが11月8日の紅白戦。リーグ優勝に向けて重要な一戦となる2日後の名古屋グランパス戦に強行出場した影響もあって、ベルギー遠征の出発前にチームを離脱した。
以降痛みとの戦いが続くも、試合を欠場することはなかった。名古屋戦後も、最終節までの3試合をフル出場。優勝は取り逃がしてしまったが、裏ではケガと必死に戦っていた。
「ダッシュするときに、力がうまく(左足に)伝わっていかない感じがあった。試合後に痛みが来て、歩くだけで痛くなって……」
優勝を逃がした悔しさが、気持ちを天皇杯に向かわせた。試合に間に合わせるべく、必死の調整は続いた。
我慢すれば、プレーできるレベルにはある。だが本来のパフォーマンスを発揮できないもどかしさにも包まれていた。齋藤はメディカルスタッフに、こう漏らしたという。
「29日(の準決勝)は出て、勝ってみせる。でも1日の決勝は、出られる気がしないんだ」
いくらここまでごまかしてきたとはいえ、中2日は現実的に難しいと考えていたからだ。だが、サガン鳥栖に勝って決勝進出を決めると、次もいけそうな感触が残った。