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“被災馬”というもうひとつの運命を
私たちに突きつける映画『祭の馬』。 

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph by3JoMa Film/Documentary Japan/TOFOO

posted2013/12/12 10:30

“被災馬”というもうひとつの運命を私たちに突きつける映画『祭の馬』。<Number Web> photograph by 3JoMa Film/Documentary Japan/TOFOO

『祭の馬』は、12月14日より東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムにてロードショー、他都市では順次公開。詳細はhttp://matsurinouma.com/

カメラがとらえた、被災馬が心身の傷を癒す様子。

 一方で、ミラーズクエストのような末路を歩む馬がいる。

 2011年3月11日、南相馬市原町区江井の厩舎にいたミラーズクエストは、激しい揺れと津波に襲われるも、奇跡的に一命をとりとめた。その後、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、20キロ圏内のそこは警戒区域に指定され、立ち入りが制限される。警戒区域の家畜は内部被ばくしている恐れがあるため移動が禁じられていたのだが、伝統行事の相馬野馬追継続のためという理由で、特例措置として、二十数頭の馬が5月上旬、警戒区域外(原発から30キロ圏内の緊急時避難準備区域)の南相馬市馬事公苑へ移動した。

 そのなかにミラーズクエストもいた。

 私は、同じ緊急時避難準備区域にいた、'02年の皐月賞馬ノーリーズンやサブジェクトらを取材した。そのとき、馬事公苑を管理する南相馬市にも取材申請をしたのだが、「馬主さん個人が所有する馬なので、市の一存だけで許可するわけにはいきません」と断られてしまった。しかし、その時点での馬主である肥育業者とともに動いていた『祭の馬』のカメラは、馬事公苑で被災馬たちが心身の傷を癒す様子を、しっかりとらえている。

被災したゆえに、ミラーズクエストは生きることになった。

 津波による怪我の後遺症でおちんちんが腫れてしまったミラーズクエストは、

「ご婦人のいる乗馬クラブでは、みっともなくて笑われるっぺ」

 と、からかわれるなど、何とも言えない哀愁を漂わせている。

 ミラーズクエストは、同年秋、北海道日高町と南相馬間の馬運車代と、南相馬に戻ってくるまでの預託料を日高町が公費で負担するという制度を利用し、北海道にわたった。

 翌'12年の春、南相馬に戻り、野馬追に参加する。

 その後、ミラーズクエストは、警戒区域にいたことを示す焼印を押される。食用として出回らぬようにするためだ。

 そう、ミラーズクエストは、これからも生きつづけることになったのだ。

 震災と原発事故によって、ミラーズクエストの「馬生」は、数奇としか言いようのない方向に転がっていく。それを活写した『祭の馬』は、私たち競馬ファンに、競走馬の「末路」について考えさせると同時に、命の値段であったり、生死の分岐点のあり方などについて、重い疑問を投げかけてくる。

 それに対する答えを、残念ながら私は持ち合わせていない。

 しかし、考えつづけなければならないことは確かである。

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ミラーズクエスト

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