REVERSE ANGLEBACK NUMBER
王さんでもバレンティンでもなく、
“55本”は野球ファンのものである。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byJIJI
posted2013/09/14 08:02
バレンティンは55本塁打に122試合目で到達。ローズ、カブレラの135試合を上回って史上最速だった。記録に並ばれた王貞治氏は「どこまで行くか興味があります。見守りましょう」とコメント。
王貞治というよりは王さん(と書かないと居心地が悪い)が55号本塁打を打ったのは1964年だ。だが、55という数字が野球の神話的な数字、神聖にして侵すべからざるものとなったのはだいぶあとではなかったか。少なくとも'60年代、'70年代では不可侵の金字塔とまでは見られていなかった。そのころの子どもにとっては55号はむしろコント55号、欽ちゃんと二郎さんのことで、野球の数字としての意識は少なかった。
ひとつには55という数字があまりに現実離れしたものだったからだろう。そのころ50本を打てる選手は王さんぐらいしかいなかった。王さんだって毎年打てる数ではない。別格の、遠く霞んでいる数字で、大半の人の意識の外にあったのではないか。
それがリアルに感じられるようになったのは1985年にランディ・バースが54本を打ってからだ。王さんの記録にほんとうに肉薄する選手が出てきた驚きは少なくなかった。残り1本になったとき、ジャイアンツの投手が勝負を避けたことも、この数字の神格化を進めた。ああ、超えちゃいけない数字なのか。どこかおかしいと感じながらも、超えさせたくないという気持ちもわからないではなかった。松井秀喜が王さんを超えて欲しいという願いを込めて、55の背番号を与えられたことも、55を特別な数字に「成長」させた。
「神聖不可侵」は、もはや遠くになりにけり。
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2001年にタフィー・ローズが並んだときは、王さんの球団のコーチが「(並ばれないように)配慮した」といっていたが、普通のファンや他球団の選手にとっては「神聖不可侵」のイメージはかなり薄れてきていた。ただ、この年は30本塁打以上を打った選手が12人もいて、「そういう時代の産物で値打ちはどうなの」という疑念もついて回った。
2002年のときは素朴に打たれるものかと闘志を見せた投手たちに、アレックス・カブレラが屈した感じだった。
そうした経緯を経て、今年のウラディミール・バレンティンの本塁打を見てみると、「神聖不可侵」は遠くなったと感じないわけにはいかない。55本はそれを巡って日本の野球文化の特性や日本人の島国根性を論じるようなものではなく、普通に並んで超えるべき数字に過ぎなくなっていた。