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王さんでもバレンティンでもなく、
“55本”は野球ファンのものである。 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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photograph byJIJI

posted2013/09/14 08:02

王さんでもバレンティンでもなく、“55本”は野球ファンのものである。<Number Web> photograph by JIJI

バレンティンは55本塁打に122試合目で到達。ローズ、カブレラの135試合を上回って史上最速だった。記録に並ばれた王貞治氏は「どこまで行くか興味があります。見守りましょう」とコメント。

「王さんの大記録」というより、バレンティン。

 9月11日の神宮に集まった多くのファンも、「王さんの大記録が破られるか否か」ではなく、「バレンティンが並んで超えるか」だけを見に来ていたように見えた。

 そしてバレンティンはあざやかに55本に並んだ。第1打席、第2打席は本塁打になる角度がつきにくい低めの球にやや強引に手を出してショートゴロに打ち取られた。この2打席では記録を意識しているのかと思わせたが、第3打席では、今年の「量産するバレンティン」に戻っていた。初球、2球目の低めの球には手を出さず、高めの球を待ち、3球目に来た外よりの147kmのストレートを引っ張らないで右に叩いた。

「スワローズのファンがいるライトスタンドに打ててうれしかった」

 試合後はそんなコメントを残したが、もちろん「ファンのためになんとしてもライトへ」というものでもなかったろう。バレンティンは2年連続本塁打王になっているが、まだ打率3割を超えたことはなかった。シーズン中には決まって長いスランプがあった。パワーはあるが、少し調子が落ちると、そのパワーに頼ってボールに手を出しスタイルを崩して苦しむ。

 しかし、今年は本塁打を量産するだけではなく、打率も3割を楽にクリアし、スランプもほとんどない。固め打ちより継続性が目立つし、試合の中で強引さを反省して好結果につなげる術も覚えた。55号の一発は、今年の彼の特徴が集中的に現れていた。

 だから、55本という数字はみごとでも、今シーズンの彼を見てきていれば、それほど驚く結果ではない。

55本は野球ファンのものなのだ。

 むしろ驚きはスタンドにあった。スワローズのファンが傘を振り上げて東京音頭を歌い、歓喜するのは当然だが、スタンド半分を埋め、スワローズのファンより多いのではないかと思わせた赤いジャージのカープファンも、バレンティンの一発のあと、みな立ち上がって拍手を送っていた。なかなかいい光景だった。かつて野茂英雄がコロラド・ロッキーズとの試合でノーヒットノーランを演じたとき、ロッキーズのホームのファン(ほとんどがそうだった)もスタンディングオベーションした光景を思い出した。

 55本は王さんだけのものでもないし、日本野球の宝などといったものでもない。バレンティンのものですらないかもしれない。野球ファンのものなのだ。スワローズのファンもカープのファンもいっしょになって立ち上がり、祝福したあの瞬間、そんなことを思わせた。この記事が目に触れるころにはおそらくバレンティンの新記録が打ち立てられ、新たなファンの財産と選手たちの目標になっているだろう。

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