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“品格”よりも“言論の自由”を!?
フィンケ監督に見る個人批判の是非。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byToshiya Kondo

posted2010/11/06 08:00

“品格”よりも“言論の自由”を!?フィンケ監督に見る個人批判の是非。<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

浦和レッズのフィンケ監督は来季の契約がいまだに決まらず。橋本光夫社長は11月末には結論を出したいとしているが

選手個人のミスまで監督に押しつけるのは間違っている。

 サッカーの戦術には、「個人戦術」と「グループ戦術」がある。

 どういうフォーメーションを選び、どこから守備を始めるかといった決めごとは「グループ戦術」のひとつだ。

 一方「個人戦術」は、1対1で負けないとかボールを失わないといった、選手が実行すべき基本である。

 もしシステム選びに誤りがあったら、監督が大いに責められるべきだ。だが、個人戦術のミスについては、もはやこれは監督の範疇ではなく、特定の選手が責められるべきものである。どうも日本では、個人戦術のミスまでもが、監督に押しつけられてしまっていることが多いように思う。

 0対2で負けていて、残り10分になったとしよう。

 このとき3トップの左FWは、自陣に戻って守備をするべきか? それとも守備を放棄して、前線で得点チャンスを待つべきか?

 答えはその時々の状況によるが、何も考えないでただ守備に戻る、というのが一番いけない。この判断こそ個人戦術であり、日本の選手が弱いところでもある。個人戦術を鍛えるという意味でも、きちんと個人のミスは批評されるべきではないだろうか。

監督が萎縮して本音を話せないとファンの楽しみも半減。

 それに加えて、監督が気を遣ってしゃべってばかりでは、「語る」というサッカーの楽しみも半減してしまう。

 プロ野球の報道では、致命的なエラーをした選手が批判されるなど、個人の責任が明確になっている。もちろん野球の方が、サッカーより個人の責任が判別しやすいという背景もあるが、Jリーグとサッカー報道にとって参考になるはずだ。

 選手の個人名が出てくるのが、褒めるときだけでは、ちょっと歪だ。

 せめて監督の発言の揚げ足を取るような雰囲気はなくしたいものだ。

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