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早実・荒木、池田・水野、PL・桑田と投げ合った男。
悲運のエース、三浦将明の青春 

text by

渡辺勘郎

渡辺勘郎Kanrou Watanabe

PROFILE

photograph byKeita Yasukawa

posted2010/08/13 06:00

早実・荒木、池田・水野、PL・桑田と投げ合った男。悲運のエース、三浦将明の青春<Number Web> photograph by Keita Yasukawa

'83年夏、3度目の甲子園で力投する三浦。決勝のPL戦では本塁打を2本浴びるも、失投はわずかだった

三浦人気が沸騰。届いたファンレターは7万通に達した。

 その頃、三浦の人気も沸騰していた。センバツ以後、届いたファンレターの数はなんと約7万通。住所が分かるものには返事を出したのだが、その数は2万枚に達したという。大量のハガキを父親が買って来て宛名を書き、息子は一枚一枚にサインを書いた。高校野球のスター選手が『セブンティーン』など若い女性向けの雑誌に頻繁に登場し、アイドル並みの人気を誇った時代だった。

 最後の夏の甲子園は、初めての夏ということもあって暑さに慣れず、初戦は延長10回で辛うじて制した。だが、その後は2回戦6-0、3回戦19-3、準々決勝4-1と危なげなく勝ち上がる。池田も順当にベスト4入りを決める。準決勝の久留米商戦は、池田-PL戦に続く第2試合に組まれていた。

「試合前にラジオで第1試合を聞きながら練習をしてたんですけど、間違いなく池田が勝ち上がると思ってました。ベスト8まで毎回抽選なのにことごとく池田とは当たらなくて、これは決勝で当たる運命なんだ、と思ってましたから。ところが『7-0でPLがリード』と聞こえてきた。最初は『間違ってる』と思いました。だけど2回も3回もそう言うから、練習を中断してラジオを聞き始めたんです。すると、やっぱりPLが勝っていて、あの水野がホームランを何本も打たれていた。みんなで『考えられないよな』と話してました。目標にしてた池田が負けて残念と言えば残念でしたが、切り替えるしかありませんでした」

PLの桑田と清原は、まだ実績の少ない1年生だった。

 Y校は池田とは対照的に、久留米商を12-2の大差で下し、決勝に進出。池田を5安打完封の7-0で破ったPLとの対戦が決まった。前年春の準決勝と同じ顔合わせである。

 PLのエースは桑田真澄、4番は清原和博。二人はまだ実績の少ない1年生だった。

「桑田は、真っ直ぐも、あの得意の縦のカーブも、これが本当に1年生か! とは思いましたが、打てないレベルではありませんでした。だから序盤はウチが押せ押せでした。でも、連打が出ないから点が入らない。そこが桑田の凄いところです」

 この年の春からY校野球部には、コーチとして小倉清一郎が加わっていた。のちに横浜高校で松坂大輔を育てた名コーチである。桑田のあるクセを見抜いた小倉は、決勝戦を前にこんな指示を出した。

〈1死二塁の場面を作れ〉

「桑田は二塁に走者を背負うと、一度は二塁を振り返って走者を見るけど、二度は振り返らず、そのまま投げる。だから、桑田が二塁走者から目を切った瞬間にゴー、だと。これが最初は見事にはまってランナーは三盗に成功しました。でも、2回目のときは桑田が二度振り返り、二塁走者は逆を突かれて見事に刺された。試合中にきっちり修正してくる。それだけセンスがいいんですよ」

 試合前に三浦はマークする打者を聞かれ、「清原」と答えていた。前日に水野から4三振したことを知り、「三振はもう全部しちゃったんじゃないですか」と冗談を言って記者を笑わせたのだが、もしかすると勝負師の勘が働いていたのかもしれない。

【次ページ】 通算13本塁打を記録する清原の甲子園初アーチを献上。

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