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早実・荒木、池田・水野、PL・桑田と投げ合った男。
悲運のエース、三浦将明の青春
text by
渡辺勘郎Kanrou Watanabe
photograph byKeita Yasukawa
posted2010/08/13 06:00
'83年夏、3度目の甲子園で力投する三浦。決勝のPL戦では本塁打を2本浴びるも、失投はわずかだった
怪我から復活して、夢の舞台に帰ってくると、“阿波の金太郎”水野、そしてKKコンビに、悲願の栄冠を懸けて、真っ向勝負を挑んだ――。
高校野球人気が絶頂を迎えていた'80年代前半、甲子園には毎年のようにスター投手が出現し、互いの力を競い合っていた。
その中でも特に、熱い視線と声援を集めていたのが、早実の荒木大輔、池田の水野雄仁、そしてPLの桑田真澄。今でも甲子園ファンに語り継がれるこの3人すべてと、大舞台で対決した男がいる。
三浦将明。
横浜商業、通称“Y校”のエースとして、長身から繰り出す大きなカーブを武器に、'83年の甲子園で春夏連続準優勝を達成した彼もまた、当時は人気抜群のスターだった。
初出場は'82年春。センバツ大会に44年ぶりの出場を果たしたY校は、波に乗って勝ち進む。破壊力のある打線は活気づき、新2年生エースの三浦も、一戦ごとに成長していった。
荒木を擁する早実と当たったのは準々決勝。荒木は、1年生の夏に鮮烈な準優勝デビューを果たして以降、このセンバツまで4季連続で甲子園に出場していた大スターだった。当時の多くのファンがそうだったように、三浦にとって、荒木は“特別な存在”だった。
三浦はたび重なるピンチをしのぎ、3対1で早実を下す。
「僕にとっては“早実の荒木さん”ではなく“荒木さんのいる早実”でした。実物を見たら、うわ、荒木さんだ、とすごく感動しましたね。早実ベンチの上は女の子ばかりで、あんな風になれたらなぁ、どんな気持ちだろ? なんて考えてました」
試合は、早実が5回に1点先制したが、Y校は7回表、逆転に成功する。この回、貴重な同点タイムリーを放ったのが三浦だった。
「いざ打席に入ると、荒木さんはイメージと違いました。球が速いわけじゃない。カーブがキレるわけでもない。外角主体で、打者が一番打ちづらいコースに投げ分けてくる“技術の人”なんだと実感しましたね。
僕は手が長かったから、外角でも手が届けば打てるし、内角の球も、詰まっても打てると思いました。同点打は内角球を打って、普通なら三塁フライになるような当たりがレフト前に落ちたんです。思わずガッツポーズをして、その後は試合も僕のペースになりました。荒木さんは疲れてたのかな? 一番打たれちゃいけない奴に打たれたんですよ(笑)」
三浦はたび重なるピンチを粘りの投球でしのぎ、Y校は3対1で早実を下す。試合後、三浦はこう声を震わせた。
「今までで最高の感激です。早実に勝ったこともですが、荒木さんに投げ勝ったことがです」
一方の荒木は「夏に向けてさらにスピードをつけたい」とクールに話し、甲子園を去った。