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ジェフを愛した男・巻誠一郎。
熱い想いを袖にする経営陣の愚。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byKYODO
posted2010/08/06 10:30
7月31日、ジェフ千葉が大分に5-0で勝利した後、ロシアリーグのアムカル・ペルミに移籍する巻誠一郎のセレモニーが行なわれた。
スタジアムには、観戦していたサポーター13000人のほとんどが試合後もそのまま残っていた。巻は、サポーターへの感謝の気持ちとチームへの想いを素直に語り、その言葉に皆涙し、最後まで巻コールが鳴り止まなかった。巻がサポーターに愛され、支持されていたということを改めて感じさせてくれた素晴らしいセレモニーだった。
その一方で、巻の移籍に際しトップやフロントの心ない対応にガッカリしたサポーターや選手も非常に多かった。ジェフの「悪しき慣習」は変わっていない、と。
過去、ジェフはチームの象徴となった功労者に対して、あたかも冷水を浴びせるかのようにして追い払ってきた歴史がある。例えば、中西永輔がそうだった。阿部勇樹にしても当時のトップから慰留の言葉はおろか、感謝の言葉もなく、むしろ多額の移籍金が入るので積極的に放出する姿勢を見せさえしていた。トップの対応にガッカリした阿部は「心のないチームにはいられない」と、レッズに移籍していったのだ。
そして、今回の巻である。
すべてはジェフのため――。巻誠一郎の多大なる貢献。
巻がチームで果たした役割は、非常に大きかった。オシムが監督に就任してから選手はプロとしての在り方を学び、プロサッカー選手として成長した。そして、リーグ戦では優勝争いをするまでになり、ナビスコカップでは優勝するなど結果も出してきた。その中で、一切手を抜かず、泥臭く、一生懸命にプレーする姿を見せてきたのが巻だった。彼の姿は多くの若手にも影響を与えた。
チームへの愛情も人一倍強かった。
'06年、フロントが将来へのビジョンを示せず、阿部、坂本将貴というジェフの屋台骨をささえた中心選手二人の移籍を決めた時も、巻はジェフ愛を貫くために他クラブからのオファーを蹴った。翌'07年、羽生直剛、水野晃樹、佐藤勇人らレギュラー陣が大量移籍した時でさえも、巻は大宮などからのオファーを断り、チーム再建に向けて「先頭になって引っ張っていく」と宣言した。降格争いに転じた'08年シーズンは、苦しみながらもチームを引っ張り、奇跡の残留を果たした。巻とサポーターの「最後まで諦めない」という気持ちが奇跡を生んだのである。
チームを引っ張りながら巻は、契約更改の場などで、プロチームとして改善すべき点をフロントに要求もしてきた。
姉崎の芝の改良やチーム移動の際のスーツ着用などは巻が提言し、実現したものだ。そうした要求は、クラブにとって耳の痛いことが多かったが、ジェフというチームがよりプロフェッショナルになるには必要なことだったのだ。