濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
衝撃的敗戦と新ビジネスがもたらす、
格闘技界の「新しい時代」。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2010/08/03 10:30
北米で盛り上がりを見せる『STRIKEFORCE』は、『UFC』に次ぐ人気を誇る
2010年は、日本人にとっての“格闘技”が大きく変化した年として記憶されるはずだ。
'90年代のK-1、'00年代のPRIDEと、これまでプロ格闘技の中心は日本だった。PRIDEは2007年に買収されたのだが、そのショックがあまりに大きすぎたためか、時代の変化は人々に受け入れられなかった。多くの人間がPRIDEの残像を追い求めていたのである。
だが、半年あまりで様々なターニングポイントがあった。たとえば、4月17日にアメリカ・テネシー州ナッシュビルで開催されたSTRIKEFORCEである。
青木、ヒョードルの敗北で打ち砕かれた残像。
この大会には、DREAMのライト級チャンピオンである青木真也が出場。ギルバート・メレンデスの持つSTRIKEFORCEライト級王座に挑んでいる。
結果は、青木の大敗だった。5ラウンドすべてをメレンデスにコントロールされ、得意のグラウンド・テクニックを発揮できずにフルマークの判定負けを喫したのだ。メレンデスのパンチによって腫れ上がった青木の顔が意味したのは、日米の実力差だった。
日本はビジネスで敗れ、PRIDEを買収されただけではなかったのだ。選手のレベルや層の厚さでも、日本はアメリカに大きく後れを取っている。その事実が、青木の敗戦によってファンに突きつけられたのだ。
さらに6月26日、同じSTRIKEFORCEのサンノゼ大会では、エメリヤーエンコ・ヒョードルがファブリシオ・ヴェウドゥムに一本負けを喫している。三角絞めに加えてヒジも極(き)められ、力なくタップするヒョードルの姿は、衝撃以外の何ものでもなかった。
ヒョードルは、PRIDE時代から“最強”の象徴だった。PRIDE活動休止以降もアメリカで連勝し、非UFCファイターの中でただ一人、世界最高峰の座に君臨し続けてきたのである。“PRIDEの残像”を求めるファンが、ヒョードルに託した思いはとてつもなく大きく、重かった。
そんなヒョードルが、ほとんどノーマークの選手を相手に敗れたのだ。その翌週、7月3日のUFCヘビー級王座統一戦でブロック・レスナーが劇的な逆転勝利を収めていることも併せて考えれば、ビジネス的成功だけでなく“最強幻想”さえもUFCが独占したのは明らかだった。青木とヒョードルの敗北と、UFCの充実ぶり。そのことで、「かつて、日本にはPRIDEという世界最高の団体があった」という“プライド”は粉々に打ち砕かれた。追い求めるべき残像すらなくなったのだ。