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“ワンダー・ボーイ”の栄光と有終。
M・オーウェン、爽快なる引退劇。 

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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posted2013/03/29 10:30

“ワンダー・ボーイ”の栄光と有終。M・オーウェン、爽快なる引退劇。<Number Web> photograph by AFLO

昨年9月に1年契約を結んだストークでは10番をつけた。1月のスウォンジー戦で挙げたゴールで、史上8人目となるリーグ通算150得点を達成した。

レアルへの移籍がその後のキャリアに暗い影を落とした。

 キャリアにおける明暗の分岐点を、'04年夏のレアル・マドリー移籍と見る向きは多い。

 同年にリバプールの監督となったラファエル・ベニテスの評価が低く、チームを去るしかなかったという見方までされている。だが、当時のチームメイトで、ユース時代からオーウェンを知るジェイミー・キャラガーによれば、レアル移籍はオーウェンが望んだ「変化」だった。一足先に今季末での引退を表明した35歳のリバプールDFは、3月20日付の『デイリー・メール』紙上で次のように明かしている。

「レアルは、大舞台での勝負強さに惹かれてマイケルを欲しがっていた。彼も、新たなチャレンジを求めていた。チーム内では政治力が物を言い、ラウール(・ゴンサレス)とロナウドという不動の2名がいるレアルにいけば、純粋な得点力だけで定位置を奪うことは難しい。だから、移籍は考え直した方がいいと言ったんだ。でも、マイケルの気持ちは変わらなかった。スペインでも成功すると信じて疑わなかったんだ」

 実際、レアルで過ごした1シーズンの数字は、出場45試合で16得点と悪くはない。先発の機会が26試合に限られていた点を考慮すれば尚のことだ。結果として、翌'05-'06シーズンを前に、ニューカッスルは、30億円台の移籍金と約7億円の年俸を用意して、25歳のオーウェンをプレミアリーグに呼び戻した。

ニューカッスル復帰後は右足の古傷に悩まされることに。

 そのニューカッスルでの4年間は、残念ながら、出場試合数は「79」、得点数は「30」に留まり、ファンに「給与泥棒」呼ばわりされるはめになった。

 原因は、'06年W杯で負った前十字靭帯断裂を含む怪我の数々。悪循環は、'99年に経験した右足のハムストリング断裂に始まったものだ。

 この19歳当時の大怪我に関しては、10代の頃から早熟の天才として肉体を酷使した代償を払わされたという解釈が一般的だ。だが、当時のリバプール監督だったジェラール・ウリエが休養を与えようとすれば、「30代になったら休みますから!」と常時出場を直訴していたのはオーウェン自身。当人が「若い頃にプレーしすぎた」などと後悔しているはずもなく、意識しているとすれば、それは、当時の医療技術の「未熟」だろう。

 オーウェンのハムストリングが、再び大きな悲鳴を上げたのは、マンチェスター・ユナイテッド移籍1年目の'09-'10シーズン。前回の断裂からは、約11年の歳月が流れていた。マンUで戦列復帰を果たした後、本人は言っている。

【次ページ】 引退の理由は絶えない怪我のせいではなく「予定通り」。

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