濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「修斗は踏み台」と新王者・堀口恭司。
“格闘ネイティブ”世代の新たな常識。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2013/03/24 08:01
3月16日、東京・後楽園ホールで開催されたプロフェッショナル修斗世界フェザー級チャンピオンシップ。世界初挑戦で第9代王座に就いた堀口恭司は、「もっと上の舞台でやりたい。やっぱりUFCに出たいですね」と語った。
圧巻の勝利、時代を象徴する王座交代劇だった。
3月16日の修斗・後楽園大会。堀口恭司は王者・扇久保博正を2ラウンド1分35秒、スリーパーホールドで下し、世界フェザー級タイトルを腰に巻いた。プロ修斗のキャリア10戦目のスピード戴冠だ。
“超新星”の異名を持つ堀口は1990年生まれの22歳。5歳の時に地元・群馬で空手を学び始め、高校卒業と同時に山本“KID”徳郁率いるKRAZY BEEに入門している。2010年にプロデビューを果たすと修斗の新人王決定トーナメントで優勝。世界王座奪取まで、喫した敗北はわずかに一つだ。
彼の人生を、格闘技年表と比較してみよう。1997年、彼が小学校に入学した年にK-1が3大ドームツアーを敢行。地上波のゴールデンタイムで、毎月のようにヘビー級ファイターの打ち合いが放送された時代に少年時代をすごしたことになる。
1990年前後以降に生まれた“格闘ネイティブ”たち。
中学・高校時代はPRIDEの全盛期だ。中学校への入学を控えた2003年の3月、エメリヤーエンコ・ヒョードルがPRIDEヘビー級王座を獲得。この年の大晦日には地上波3局で格闘技イベントが中継され、TBSのボブ・サップvs.曙は瞬間視聴率で紅白歌合戦を上回った。
「倒して勝つ選手が好きでした」という堀口少年はミルコ・クロコップのファンだったという。格闘技ブームの真っ最中に育った彼にとって、プロ格闘家という“職業”は夢などではなく、具体的な目標だった。
2011年のインタビューで、堀口は新人王獲得についてこう語っている。
「思い描いていた通りではあるけど、普通のことだと思ってますね。たまたま家の近くのジムに入って、たまたまハマってプロになったわけじゃないんで」
堀口をはじめ、現在の格闘技界では1990年前後からそれ以降に生まれた新世代の台頭が著しい。Krush -55kg級王者の瀧谷渉太、同-60kg級王者の卜部弘嵩はともに23歳。3月10日、欧州のメジャーイベントGLORYの65kg級日本トーナメントを制した野杁正明は1993年生まれの19歳だ。
彼らのような、プロ格闘技が当たり前の目標としてある時代に育った世代、いわば“格闘ネイティブ”たちが、日本格闘技界のメインストリームを席巻しつつある。
世界タイトル獲得にも、堀口はあくまで冷静だった。
「いつもの試合と変わらない感じでしたね。ベルトがついてきたんで、いつもよりはちょっと嬉しいかな(笑)」