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<HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第1回 「選手としてでなく、人として生きろ」 

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榎森亮太

榎森亮太Ryota Emori

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2013/02/06 06:01

<HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第1回 「選手としてでなく、人として生きろ」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto
昨年5月に開校した本田圭佑プロデュースのサッカースクール。
彼がこの活動を通して子供達に伝えようとしている哲学とメソッドとは。
スクールの事業責任者である榎森亮太氏が語る。

「ソルティーロ ファミリア サッカースクール」は、本田圭佑の発案・プロデュースにより昨年5月に開校しました。現在は大阪に2校、神戸に2校の計4校で幼児から小学6年生までの子供たちがプレーしています。今回はまず、僕が本田圭佑に出会い、彼と共にこのサッカースクールを立ち上げるに至った経緯を明かしたいと思います。

 実は、僕も3年前まではプロを目指してサッカーに取り組んでいました。日本を含め中国、ドイツ、オランダ、シンガポール、タイと各国で果敢に挑み続けたのですが、プロサッカー選手になるという夢を叶えることはできなかった。ただ、そのプロセスの中で本田圭佑という“本物の男”に出会えたことが、僕にもうひとつの夢を与えてくれたのです。

本田はイメージとは裏腹にどこまでも気さくで礼儀正しかった。

 本田との初対面は彼がオランダのフェンロに入団し、初めて試合に出場した日。雑誌などでの発言を読むと「エライ強気だな」という印象を抱いていたので、当時、ドイツ下部リーグのクラブに所属していた僕は、1つ歳下の彼がオランダ1部リーグでどれだけ出来るものなのか興味があって観戦に行ったんです。試合後に知り合いを通じて紹介してもらい、握手をした瞬間の感触は今でも忘れませんね。本田はイメージとは裏腹にどこまでも気さくで礼儀正しかった。

 2度目に会ったときに何故か「榎森さん、家に来ます?」って誘ってくれて、本田の自宅にお邪魔しました。アマチュアで伸び悩んでいた僕はそこで「サッカーを続ける根底となっているものは何ですか」って聞いてみたんです。彼は少し間をあけて「負けず嫌い、ですかね」と答えた。

 当時は「すごいな」と聞いていただけでしたが、その言葉が意味する“本当の恐ろしさ”を僕は彼と親密になればなるほど、知ることになるのです(笑)。

 転機は2010年3月、僕がタイでプロになることを断念した直後。本田にとってはロシアのCSKAに移籍しCLのセビージャ戦で衝撃のFKを決めた後でした。タイでどん底に落ちていた僕のところに「お前、生きとるのか?」と本田から電話があったんです。僕の事情を正直に話したところ、彼はこう言いました。

「モスクワに来い。こちらでの生活はすべて俺が面倒を見るから、航空券だけ自分で取れ」

【次ページ】 本田の理想と意見が衝突し、毎日が“闘い”。

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本田圭佑

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