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「勉強していると『バスケをなめてるのか?』と…」40歳になった“公認会計士合格のBリーガー” が語る、かつての日本バスケ界「本当にあった惨状」
posted2024/10/06 11:00
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
(L)Nanae Suzuki、(R)AFLO
昨シーズンの終わり、当時39歳のバスケットボール選手の、以下のようなポストがX(旧Twitter)のタイムラインを賑わせた。
《心残りが少しだけあります。ずっと何かが引っ掛かったまま、チームの為に尽くしてきたつもりですが、報われたと思うことは無かったです。全てを出し尽くしてやり切ったと、今は胸を張っては言えないです。(中略)求めてくださるクラブがあれば、オファーをお待ちしております。無ければ諦めます》
2部リーグにあたるB2所属のベテラン選手が契約満了により退団するのはよくあることだ。しかし、そのポストはありふれた選手のものとは異なるレベルの注目を集めた。
それは、投稿主の岡田優介が日本のバスケ界に多くの貢献をしてきたからだろう。まず、彼がどのような形でバスケ界に貢献してきたのかを紹介しよう。
異例の「公認会計士試験に受かった」日本代表選手
岡田が初めて世間の注目を大きく集めたのは、「公認会計士の試験に受かった」バスケ日本代表選手になったときだ。
バスケットボール部の看板選手として活躍していた青山学院大に在学中から勉強を始め、26歳で合格した。会計士試験は司法試験についで難しいとされており、当時の合格率は10%を切る。合格の一報は、中国でのアジア大会に日本代表として参加していたときに届いた。
ただ、公認会計士を目指すキッカケは大半の合格者とは一線を画すものだった。
「社会的な使命感で公認会計士を目指したわけではなく、また、引退後の保険的な意味合いでもない。若気の至り的なチャレンジャー精神からです。とりあえず難しい資格を取ろうと。極端に言えば、弁護士でもよかったかもしれません。性格的には司法試験の方が向いていたと今では思います(笑)。
ただ、司法試験を受けるためにはロースクールに行かないといけない。当時の僕の優先順位としては、プロ選手としてプレーすることが一番上にあった。その活動を休んでまでロースクールに行くことは考えられず、公認会計士試験を選んだんです」