スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
イチローの午後4時と名手たちの晩年。
~ヤンキース移籍で輝きは蘇るか?~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byThomas Anderson/AFLO
posted2012/07/30 10:30
セーフコフィールドでの3連戦もこの試合限り。メジャーリーグデビューしたシアトルの街を離れ、可愛い後輩の川崎宗則とも別れることになった、移籍後3試合目の試合。
イチロー移籍の第1報を聞いたとき、私は自分でも意外なほど驚かなかった。
予期はしていた。4月には野球好きの友人たちと話もした。ただ、優勝争いをしているチームに入れば7番を打たされる可能性はあるぞ、とは思っていた。耐えられるかな。耐えられるだろう。プライドは高いが、自身の力量に関しては冷静で謙虚な選手だ。評価がフェアであるならば、心情的に拗ねたりひがんだりすることもないにちがいない。
そんな予感があったものだから、「ヤンキース移籍」には驚かなかった。事前交渉で「下位打線を打たせるかもしれないし、レフトを守ってもらうこともありうる」という条件を呑まされた、と聞いても、意外な印象は受けなかった。ただ、「8番ライト」のアナウンスにはちょっとびっくりした。7番や9番ならともかく、いきなり8番か。イチローのプライドの量と自制心を、試しているのだろうか。
イチローに似た“職人タイプ”の名選手たちの晩年。
あらためて指摘するまでもないが、イチローは球史に残る大選手である。11年半の大リーグ生活で、2500本以上のヒットを打ち、400個以上の盗塁を記録し、3割2分以上の通算打率を残している。
手もとの資料を調べてみたが、いま述べた3つの条件を満たす選手は、ほかに4人しかいない。
ホーナス・ワグナー、タイ・カッブ、エディ・コリンズ、トリス・スピーカーの4人だ。
4人はもちろん、全員が殿堂入りを果たしている。カッブやスピーカーは、イチローがマリナーズに入ったとき、私がロールモデルと考えた選手だ。いや、モデルはほかにもいた。3000本安打にあと13本と迫りながら、数字に気づかず引退したサム・ライス。スライディング・キャッチを考案したハリー・フーパー。1211試合で1491本の安打を放ちながら30歳で夭折したロス・ヤングス。20世紀初頭のデッドボール・エラ(飛ばないボールの時代)には、イチローの原型ともいうべき渋い名手たちが少なくなかった。
カッブはタイガースで22年働き、アスレティックスで2年働いて41歳で引退した。
スピーカーはレッドソックスで9年、インディアンスで11年働き、セネタースとアスレティックスで1年ずつ働いて現役を退いた。40歳だった。
ライスはセネタースで19年働き、インディアンスで1年働いて44歳で引退した。
フーパーはレッドソックスで12年働き、ホワイトソックスで5年働いて、38歳で現役を退いた。
パターンはけっこう似ている。無口な職人のように黙々と仕事をこなし、野球人生の午後4時を過ぎると、静かにあと片づけの準備に取りかかる。