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<団体へ懸ける思い> 内村航平 「日の丸の重みを知って」 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAFLO

posted2012/07/25 06:01

<団体へ懸ける思い> 内村航平 「日の丸の重みを知って」<Number Web> photograph by AFLO

先輩たちの厳しい練習の前に、あぶり出された弱点。

 本番のごとく演技を行なう、きつい「通し」の練習でも、たとえ途中で失敗してもそこでやめてしまわず、もう一度器具に飛び乗って演技を再開する。乳酸のたまった筋肉は容易にコントロールできないが、その苦痛を乗り越えてフィニッシュまで到達すべく、歯を食いしばるのである。

 内村は目を見張った。自分より年齢も実績も上の選手たちが、誰にも言われなくとも厳しいトレーニングを黙々とこなしていた。

「体操選手としての転機はあのときのユニバーの合宿です。自分の弱点が何であるかが明確になり、世界での戦い方とはどういうものなのかを知ることができました」

 そのころ、畠田監督には、若いころの自分と内村が重なって見える部分があった。

 自身は徳島県鳴門高校出身。インターハイでは団体3位になったことがあるが、高校時代に考えていたのは個人で優勝することだけで、団体優勝は意識の中になかった。

「清風や埼玉栄、洛南など、インターハイで団体優勝を争うようなチームにいた選手は、高校時代からその雰囲気を分かっていますが、航平や僕はそこまでの強豪校にいたわけではなかった。ところが日体大に入れば、つねに目標はインカレ優勝ですし、部内のメンバーは皆、高校時代から団体優勝を目指すとはどういうことかを経験している。

 僕が大学に入ってから団体戦の価値に気づいたように、航平もユニバーシアード、そこから帰国してきた直後のインカレと立て続けに団体戦に出場しながら、仲間とともに戦うこと、勝ったり負けたりしながらうれしさや悔しさを共有する喜びを知っていったのでしょう」

社会人優位の全日本選手権で、日体大に2度の優勝をもたらす。

 中でも、国の代表として戦う団体戦は格別のものだと、畠田監督は強調する。

「日の丸を背負う団体戦は、そこに行かないことには分からないんですよ。厳しさもうれしさも悔しさも、出た人にしか分からない。だからこそ、航平には早く団体の国際大会を経験してもらいたかった」

 学生時代の内村にとっては、社会人と競い合う全日本選手権での団体戦もまた刺激になった。日本の体操界は伝統的に社会人が強く、団体戦で学生が勝つことは滅多になかったが、内村が学生だった4年間は日体大が全日本を2度制している。

「団体戦にはいつもドラマがあります。航平が1年生だった2007年は最後の6種目目に徳洲会に抜かれて2位。2年生だった2008年は反対に徳洲会を逆転して優勝。ところが3年生のときは、航平が最初の鉄棒で2回落ちて負けた。1番手の演技者でいかせたのですが、2回落ちたことが響いて2.5点差で負けたんですよ。その悔しさはずっとあったと思います。4年生のときにはコナミとの争いを制して優勝しました」

【次ページ】 試合に出なくとも、支えてくれる仲間たちのために。

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