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柔道世界選手権100kg超級代表、
高橋和彦は重量級の救世主なのか?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2010/05/12 10:30
国士舘大在学中は鈴木桂治(写真右)の付け人だった高橋和彦。ともに100kg超級代表に選ばれた鈴木に対し「まだまだいろんなことを盗みたい」と前向きなコメントを残した
苦渋の表情を浮かべていた。憮然とした、とも言えるかもしれない。
4月29日、全日本柔道選手権の結果を受けて、今年9月に東京で行なわれる世界選手権の、100kg超級および無差別級の代表が発表になった。その席での、柔道の首脳陣の表情である。
今大会の注目の一つは、「台頭する選手があるか」にあった。
そこには、日本の重量級の昨今の事情がある。
100kg超級、無差別級という重量級は、日本柔道の看板とされてきた。
実際、名だたる選手がこれまでに活躍してきた。1976年のモントリオール・オリンピックでは現在、全日本柔道連盟会長を務める上村春樹氏、1984年のロサンゼルス大会では山下泰裕氏がそれぞれ無差別級を制している(無差別級はオリンピックでは1988年のソウル五輪以降廃止)。現在の100kg超級にあたる95kg超級では、斉藤仁氏がロサンゼルス、ソウルと連覇している。2004年のアテネ大会では鈴木桂治が100kg超級で優勝した。
こんなエピソードもある。1964年の東京五輪のことだ。柔道は4階級で実施された。軽い階級から3つで優勝したものの、最後の無差別級で敗れると、日本柔道界は敗北の気分が漂ったという。
不振が続く重量級を救う若手の台頭が望まれる日本柔道界。
それほど価値を置いてきた重量級だが、近年は不振が目立つ。
北京五輪では鈴木桂治が100kg級で初戦負けを喫し、昨年ロッテルダムで開催された世界選手権では100kg超級で棟田康幸がメダルを逃した(昨年は無差別級をマカオで別途開催予定だったが中止)。
かつての栄光とはほど遠い成績である。
鈴木は今年で30歳、棟田は29歳と、ベテランの域に入った選手たちだ。今年の世界選手権はむろんのこと、2年後のロンドン五輪へ向けて、重量級の威信を取り戻すためにも、彼らベテランの復調はもとより、彼らに伍する選手の台頭が待ち望まれていた大会だった。
25歳の高橋和彦が見せた優勝への覇気と執念。
優勝したのは、25歳の高橋和彦だった。
4回戦で鈴木を破り、準決勝は昨年の覇者である穴井隆将、決勝では立山広喜を破っての初優勝である。
大会後に発表された代表は、100kg超級は鈴木と高橋、無差別級は立山。さらに鈴木、高橋、穴井の3者から調子のよい選手を出すことになった。
高橋、立山は初代表である。
高橋の優勝は台頭と言えるが、首脳陣の評価は厳しいものだった。
「物足りない。外国選手相手には厳しい」
と、全日本男子監督の篠原信一氏が言えば、強化委員長の吉村和郎氏も、「内容がよくない」と語った。
たしかに、高橋は全5戦を通じ一本勝ちはなかった。
だが、鈴木、穴井といった第一人者を向こうに、受身にまわることなく前に出続けた覇気と執念は評価に値する。