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<Number800号特別企画・地域に生きる> JTサンダーズ 「伝説の名セッター猫田勝敏を生んだ広島のバレー文化」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byKunihiko Katsumata
posted2012/03/22 00:00
猫田がサンダーズに残した財産とは?
その後、猫田は選手兼監督としてチームをまとめた。
'73年シーズンと'78年シーズンに準優勝を飾ったが、ついに日本一には届かなかった。「世界一はあるけど、日本一はないなあ」。それが猫田の晩年の口癖であったという。
昭和58年、猫田はこの世を去る。享年39。若すぎる死を誰もが惜しんだ。
あれから四半世紀以上の時が過ぎ、今では猫田を知らないバレー関係者も増えている。だが、少なくともサンダーズを語るとき、猫田の名前は欠かせない。
こんな逸話が残っている。
専売公社が民営化、「日本たばこ産業株式会社」と社名を変える中で、バレー部の拠点を移す議論もあった。
しかし、結局は移さなかった。なぜか? 山下が語る。
「新日鐵八幡が堺へ行ったり、日立武蔵が武蔵の地名をとったり、そんな時代でしたが、やっぱり広島は離れられん。それには猫田さんの存在も影響しとるでしょう。昭和42年の日本リーグ加盟以来、うちは1度も1部から落ちたことがない。これこそが猫田さんの残してくれた財産なんです」
企業スポーツの価値とは、チームが積み上げてきた歴史に他ならない。「守りと粘り」の猫田イズムを発揮し、今シーズンもJTサンダーズは1部残留に向けて奮闘中だ。
言い換えれば、またも悲願の日本一には届かなかった。
いったいどれだけ待たせるのか――誰よりもそう思っているのは、天国のあのひとに違いない。
猫田の胸像は記念館の入り口を飾る。その表情は苦笑いしているようにも、少し怒っているようにも見えた。(敬称略)