杉山茂樹のサッカー道場BACK NUMBER
セルビア戦完敗はメディアにも責任。
岡田ジャパンに本物のサッカー愛を!!
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byToshiya Kondo
posted2010/04/18 08:00
主力をほとんど欠いた2軍以下のセルビアに0-3と惨敗。代表23人の最終選考どころか、守備の根本的な見直しを迫られた
サッカーは民主主義の象徴にほかならないと思う。
「岡田監督はこう言いました」「~と岡田監督は言っています」
アナ氏はこの言葉もしきりに繰り返した。その岡田サンのサッカーに問題があるからこそ0-3という結果を招いているにもかかわらず、岡田サンの代弁者を務めていたわけだ。つまりヨイショである。喜怒哀楽を押し隠しつつアゲアゲ報道に徹していた。
情けない。格好悪い。メディアの仕事に携わる人間として、いただけない姿勢だが、これに似たケースは、岡田ジャパンを取り巻く世界にごまんと渦巻いていることも事実。代表チームが、かつてないほど悲惨な状態に追い込まれているというのに、メディアの多くは騒ごうとしない。放っておくとヨイショに走る。不自然きわまりない姿を露呈している。こうした国は、世界広しといえど珍しい。日本のサッカー界は、言論統制が敷かれている非民主的国家と何ら変わらない状態に置かれているといっても言い過ぎではない。薄気味悪ささえ感じる。
サッカーが世界ナンバーワンのスポーツである所以はなぜか。世界のほとんどの国で、なぜ“国技”のような扱いを受けているのか。僕は、人間が生来備えているおしゃべり好きの気質と相性が良いからだと思っている。日本よりはるかに弱い国でさえ、ああでもないこうでもないとヒマさえあれば論じ合っている。世界の各国を旅していると、サッカーは民主主義の象徴にほかならないとさえ言いたくなるが、かたや日本には、そうした要素がまったくない。
損得勘定だけを考えるメディアが日本のサッカーを弱体化する。
この時期、セルビア選抜に0-3で敗れても、言論をリードするメディアの報道には、あわてた素振りすらない。サッカーに向いていない国だと言いたくなる。これだけの人口がいて、これだけの競技者がいて、サッカー好きがこれほどいるにもかかわらず、セルビア選抜に0-3で敗れてしまう理由はわかりやすい。
どっちの側についたらお金の回りが良くなるか。損得を基準に、この仕事に従事している人が、僕はこの世界にどうも多いような気がしてならない。打算がサッカー愛を上回っている人が。岡田ジャパンはその犠牲者だとさえ言いたくなる。
もっと意見してやらないと日本は強くならない。協会も変わらない。代表のサッカーも変わらない。メディアがその役割を放棄すると、日本のサッカーはますます弱体化する。これこそが、セルビア選抜との試合を眺めながら一番思ったこと。メディアの責任は重い。