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仙台が“第二の故郷”になった理由。
楽天・山崎武司、涙の退団の経緯。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byRakuten Eagles
posted2011/10/17 12:00
10月10日の試合後、「山崎コール」が響き渡るなか、集まった大勢のファンを前に、山崎武司は涙ながらに別れの挨拶を行なった
涙の退団試合から数日後、山崎武司は噛みしめるように今の心境を話してくれた。
「今後の不安はね、全くないんだよ。でもやっぱり、楽天を、仙台を離れることに関しては未練たらたら、あははは!」
あの時は、仙台市民のみならず、プロ野球ファンの誰もが自分の目を、耳を疑った。
10月9日。楽天・山崎が退団を発表――。
突然の自由契約だった。
開幕当初は好調だったが、6月の試合で右手薬指を剥離骨折し戦線を離脱。約1カ月半で現場に復帰したものの、以前から不安を抱えていた下半身の不調もあり成績は下降していく。東日本大震災からちょうど半年となる9月11日のゲームで逆転アーチを描いたが、次戦以降は39打数1安打と低迷。そして30日、山崎の名はスタメンから消えた。
自由契約の理由は「チームの若返りを図るため」と言われている。球団としても、チーム最大の功労者である山崎を評価した上で、指導者として残るよう要請。然るべき花道も用意する、と加えた。
しかし、彼は「自分の中の火を消せなかった」と、その申し出を断った。
「会見でも言った通り、まさにそこだよね。簡単に諦めちゃいけないと思った。自分の中で『現役を続けたい』という火が消えない限り、やることをやらずに辞めるのは、自分に嘘をつくことになるから」
現役続行を決意させた、恩師・野村克也からの激励。
退団会見の前日、恩師でもある野村克也から贈られた言葉も、山崎の「現役続行」という炎を一段と滾らせたのかもしれない。
「本当に、お前は俺と同じ野球人生だな。ユニフォームを脱ぐときは球団ではなく自分で判断しろ。まだできると思っているのなら、最後まで頑張ってみなさい」
山崎自身、ユニフォームを脱ぐ決断を躊躇わせたのは、何より楽天と仙台のファンにまだ恩返しできていない、と感じたからだ。