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仙台が“第二の故郷”になった理由。
楽天・山崎武司、涙の退団の経緯。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byRakuten Eagles
posted2011/10/17 12:00
10月10日の試合後、「山崎コール」が響き渡るなか、集まった大勢のファンを前に、山崎武司は涙ながらに別れの挨拶を行なった
戦力外通告から見事復活し、二冠王にまでなった男。
楽天は、一度諦めたはずのプロ野球人生を取り戻させてくれた球団だった。
オリックス時代の2004年、当時の指揮官だった伊原春樹との確執もあり戦力外通告となった。「もう、野球なんてやらない」と固く誓っていたが、この年の球界再編により楽天が誕生。初代監督の田尾安志に誘われる形で入団する。田尾の卓越した打撃技術論、野村の綿密な指導を吸収し、'07年には本塁打、打点の二冠王。不動の4番打者となった。
精神的支柱としてもチームを牽引した。闘争心に欠ける若手を叱咤し、時には胸ぐらをつかみ怒声を浴びせることもあった。鉄平、青山浩二、嶋基宏、田中将大……。現在、主力として活躍する選手のほとんどが、山崎の“洗礼”を受けて育った。
それでも彼は、自分が在籍している間にチームを優勝へ導く働きができなかったことを悔やんでいる。
“第二の故郷”仙台のファンへの恩義は、誰よりも強かった。
「僕を甦らせてくれたのは間違いなく仙台」
「仙台は寒いけど人の心はどこよりも温かい」
インタビューの度に、山崎は必ず「第二の故郷」への想いを口にした。
それだけに、仙台で現役生活を終えられなかったことを申し訳なく感じている。
10月10日の退団試合は、楽天の、仙台の、そして山崎の想いが集約されていた。
選手会長・嶋の号令の下、「山崎さんに勝利をプレゼントしよう」とチームが団結した。7回に「代打・山崎」がコールされ、チームとファンの大歓声に後押しされながら山崎は打席へ向かう。「打てるわけねぇ」と思いながらも弾丸ライナーでセンター前へ放ったことについて彼は、「仙台のファンが打たせてくれた」と言った。
「仙台からは離れますが、このご恩は一生忘れません……」
お立ち台で、山崎は涙を流しながら感謝を述べ、チームメート、ファン、その場にいたほとんどの人間が感涙し、彼の退団を惜しんだ。