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勝負所で“爽快な本塁打”を放つ男。
ヤクルト川端慎吾への大いなる期待。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byHideki Sugiyama

posted2011/10/12 12:50

勝負所で“爽快な本塁打”を放つ男。ヤクルト川端慎吾への大いなる期待。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

高卒新人の野手としては異例の一年目から一軍キャンプスタートで、さらには同年のシーズン後半に一軍試合出場も果たすなど、大いに期待されていた川端慎吾

チームが苦境の時、“爽快な一発”で雰囲気を変える。

 今シーズンの初ホームランは、8月23日の中日戦でネルソンから放った貴重な追加点だった。

 第3号は阪神の久保康友から。チームが苦手とし、自身も13打席ノーヒットだった久保からの初ヒットが貴重な先制3ランで、天敵の久保に土をつけた。

 9月27日の阪神戦では6回裏、セットアッパー榎田大樹から満塁弾を放っている。

 中日との直接対決で負け越し下降気味だったチームを活気づけるかのような一発となった。「プロどころか生涯初めてだった」という満塁弾を、チームが苦境の時期に打つのだから運も味方につけていると言っていいだろう。

 なかでも、川端自身が「プロに入って一番の当たり」と語るのは、9月3日の巨人戦で東野から打った第2号だという。

「自分のホームランはライナー性の打球が多いんですけど、あの時のホームランは、打球が上に飛んだんですよね。スイングも、力を入れずに軽く打った感じで振りぬけた。バッティングとしても、最高だったんです」

 9月の好調はここから始まった。 

 3番に復帰したばかりの試合で、小川監督の起用に応えた大きな一発だった。

 勝負所での爽快な一発でチームから信頼を得ていく……そもそも、高校時代から川端という男は、そういう強烈なインパクトを残していく男だった。大型遊撃手として注目されていた市和歌山商(現市和歌山)時代から、彼はそういう選手だったのだ。

高校時代から、とにかくプロ入りを意識してプレーしてきた。

 川端が野球を始めたのは、父親の影響からだ。「父が国体に出るのを見に行っていたんです。ショートで出場している父の姿を見て、野球をしようと思った」。プロに入るまで、ほとんどのキャリアで補欠になったことがないというほどの超エリート。市和歌山商でも1年春から試合に出場し、夏には背番号「6」をつけていた。中学時代まで投手をやっていたこともあって本人は投手志望だったが、恩師である市和歌山・真鍋忠嗣監督の一言で投手は断念した。高校当時、川端はこんな話をしていた。

「僕は高校に入ってからも、ピッチャーをやりたいと思っていたんですけど、1年の秋に監督に呼ばれて……『プロに行きたいんやったら、ショート1本でやれ。プロに行かなくてもいいと思うんやったら、ピッチャーをやらしたる』。自分はプロに行きたかったんで、『ショート1本でやります』と監督に伝えました。そこからは投手をやりたいって思わなくなりました」

 高校の1年上には玉置隆(現阪神育成)という好投手がいた。「玉置さんを見に来ているスカウトに自分をアピールしようと思っていた」というほど、当時からプロを強く意識していた。ピッチャーとして投げることに自信を持っていた川端は、守備面での送球に対する悪い癖もなかった。真鍋監督をして「高校時代、彼の送球エラーを一度も見たことがない」と言わしめたほどだ。バッティング面では、バットに合わせるだけの打者から、正統派の強打者を目指しているようだった。俊足ということもあり、三塁打を狙える打者が目標だったからだ。

「三塁打を打とうと思ったら、当てに行くのでは外野の間を破れない。しっかり振れる打者を目指した」

【次ページ】 川端らの世代は「全国どこに行っても逸材がいた」。

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川端慎吾
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