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ジャマイカの熱風。ウサイン・ボルト 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byJMPA

posted2008/08/21 00:00

ジャマイカの熱風。ウサイン・ボルト<Number Web> photograph by JMPA

王者交代。

 20日、ジャマイカの緑、黒、黄の3色の国旗がスタンドのあちこちで振られるスタジアムで、ふとそんな言葉が浮かんだ。

 それぞれの国に、誇りを持っている競技がある。ブラジルならサッカー、ニュージーランドならラグビー。五輪競技でいえば、日本は柔道、韓国はアーチェリー、中国は卓球といった具合だ。

 陸上の短距離といえば、アメリカだった。アメリカ自身、「短距離王国」の自負をこれまで隠そうとはしてこなかった。

 だがその地位は、北京で揺らぐことになったのである。

 20日、200m決勝。ジャマイカのウサイン・ボルトは100mに引き続き世界新記録で金メダルを獲得した。このボルトを筆頭に、ジャマイカ勢の短距離での活躍が目立つ。

 17日の女子100mでもジャマイカの3選手が決勝に進出し同種目史上初の表彰台独占。しかも2位は同着で、銀、銀メダル2つのおまけつきだった(アメリカは「フライングがあった」と抗議したが却下された)。

 人口約270万人、秋田県ほどの大きさ。ジャマイカの短距離の強さの秘密はどこにあるのだろうか。

 もともとジャマイカは、優秀なスプリンターを輩出してきた。日本でも広く知られるところでは、女子のマーリーン・オッティや今大会も出場しているアサファ・パウエルの名があげられるだろう。

 他国の選手として出場した選手も多い。たとえば、ドーピングで記録を抹消されたが一時期王者として君臨したベン・ジョンソン、アトランタ五輪100m金メダルのドノバン・ベイリーはカナダ代表として五輪に出場していたが、実はジャマイカ生まれだった。

 一説には、西アフリカをルーツにもつ民族性が、短距離の素質を秘めているといわれる。だが、それだけでは説明が不十分だ。長年努力を積み重ねた結果である。

 1970年代には、アメリカ留学経験をもつデニス・ジョンソンがアメリカの指導法をベースに育成プログラムをスタート。その後もアメリカの大学で学び、指導方法を持ち帰ったコーチがいた。

 昨年の大阪世界選手権の前には鳥取で直前合宿を行なったが、そのとき明らかになったのは、小学生くらいの年代から素質を見出し育成するノウハウだった。

 指導の充実と育成の確立。それに加え、短距離が熱狂的に好きな国民性も大きい。高校選手権ですら、3万人を超える観客が集まるという。

 スタジアムからの帰り道、ジャマイカの応援団の一行とすれ違った。ジャマイカは決して豊かな国ではない。駆けつけるのは大変だったのではないか。

 独特のリズムで歌いながら踊るように歩く彼らを見て、北京できっと長い旅の道のりは報われただろう、と思った。

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