北京五輪的日報BACK NUMBER
朝原宣治、4度目の正直。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2008/08/23 00:00
「やったー!」
「おいおいおい、やっちゃったよ!」
電光掲示板の3着に「日本」の文字が表示された瞬間、記者席の日本人記者から声が湧き起こった。
陸上男子400mリレーで日本は銅メダルを獲得した。
史上初の快挙である。
そしてこの人は、「夢のような、漫画のようなストーリーですね」と表現した。
朝原宣治である。
36歳。1996年のアトランタ五輪に始まり五輪出場は計4回、世界選手権出場も6回。100mの日本新記録をマークしたのは1993年のことだ。日本短距離界を背負い十数年。リレーでは常にアンカーを担い、この日もアンカーとしてゴールを切った。
もうとうに引退していてもおかしくない年齢のスプリンターは、初めて五輪の表彰台に上がった。
昨年、大阪で行なわれた世界選手権で引退するつもりだった。現役続行を表明したのは、昨年の10月のことだった。翻意した理由は二つある。
一つは、大阪でまだ走れるという手ごたえを得たことだった。100mで準決勝に進んだ。予選のタイムは10秒14。昨シーズンの日本ランク1位だった。
「まだ体が動く状態なのにやめるのは悔いが残ります」
そして「自分はもっともっと上へ行ける」、世界で戦う手ごたえをつかんだこと。個人種目の100mでも、「今まで出たことのないファイナリストを目指したい」、そう口にするほどだった。
それに見合うトレーニングも積んできた。競技場で見れば分かる。どれだけ鍛え上げているかを。
何歳になっても衰えない向上心。そしてそのための鍛錬。簡単にそう言葉にできても、それを実行する当人にとってはたやすいことではないはずだ。いや、そんなことすら考えないほど、走ることにのめりこんでいる人なのだと思う。
個性派ぞろい、我も強いスプリンターたちは、朝原についてこんなふうに言う。
「朝原さんに気分よく走ってほしかった」(高平慎士)
「朝原さんと一緒にやりたかったですからね」(末続慎吾)
「あの人は越えられないですよ」(塚原直貴)
簡単には真似できない朝原の姿勢こそ、そう言わせるものだろう。
そういえば、海外遠征に積極的に取り組み、他のスプリンターたちに海外に目を向かせるきっかけを作ったのも朝原だった。
今回の銅メダルは、幸運が作用していたのはむろんである。アメリカ、イギリスなど強豪が予選で失格となったのだから。
だが幸運も含めて、メダルを引き寄せたのは、朝原の十数年だったような気がしてくる。
アンカーとして、ブラジルを引き離した走りを見ていると。