フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
高橋のメダルは銅以上の価値あり。
彼の勇気を日本人として誇りに思う。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byTsutomu Takasu/JMPA
posted2010/02/19 23:30
「4回転は失敗してしまったけれど、怪我をしてから、ここまでにたどり着くことができて嬉しいです」
決勝後の会見で、今の気持ちを聞かれた高橋大輔は、明るい表情でこう語った。昨年の今頃は、再び競技に戻れるのかどうかもわからないまま、病院でリハビリにあけくれていた日々だった。
2008年10月末、3アクセルの練習中に転倒し右膝の前十字靭帯を断裂した。11月に手術をし、1カ月入院。入院中も退院後も毎日8時間から9時間、厳しいリハビリを重ねたが、そのあまりの辛さにプチ家出をしたこともあったという。氷の上に戻ったのが4月、そしてようやくジャンプの練習を再開したのが、6月のことだった。
五輪に間に合わないと言われた選手が4回転に挑戦した意味。
大輔は五輪に間に合うのか。そんな周辺の声を耳にしながら到達した、バンクーバーの氷だった。体調に不安を抱えた彼でも、安全圏内の演技は拒否した。
ショートプログラムはトップと僅差で3位という好調なスタートをきった。会見で、フリーでは4回転に挑むかと聞かれると、こう答えた。
「長野五輪から、男子チャンピオンは4回転を成功させてきた。やはり自分は跳びたいと思うし、跳ぶのは自分にとって大切なこと」
やる、と言ったら必ず実行する。高橋大輔はそういう選手だ。そしてフリー演技の『道』(ニーノ・ロータ作曲)では、その言葉通り冒頭で4回転に挑み、激しく転倒した。12月のGPファイナルのときはやはり同じように4回転で転倒して、ついに立ち直りが間に合わないまま表彰台を逃したが、ここでの高橋は違っていた。
すぐに立ち上がると3アクセル+2トウループのコンビネーションを含む3回転ジャンプを8回成功させ(そのうち1回は回転不足と判定)、得意のステップシークエンスの部分は思い切り表現豊かに滑りきって、難易度最高であるレベル4の判定を受けた。
後半には、観客たちは最初の転倒のことなど忘れてしまったのではないだろうか。パシフィック・コロシウムの観客たちは、演技が終わった高橋をスタンディングオベーションで讃えた。
新王者ライサチェクは高橋の言葉をどう思ったか?
「日ごろから、4回転を失敗してもすぐに立ち直って残りをきちんと滑りきることができるように、トレーニングをしてきていた。自分にとって、五輪という舞台で、4回転も含めてすべてをまとめた演技を見せることが大切だったから」
新五輪チャンピオンのエヴァン・ライサチェクは、高橋が試合後に語ったこのセリフを隣で聞いて複雑な気持ちにならなかっただろうか。彼はSP、フリーともにノーミスのすばらしい演技を見せたものの、4回転には一度も挑戦しなかった。五輪男子チャンピオンが4回転なしの演技で優勝したのは、1994年リレハンメル五輪以来のことである。
「スポーツは進化していくもの。スピードを競う競技なら、タイムを更新していくように、フィギュアスケートもかつては2回転で勝負していたが、それが3回転、4回転というように進化してきた。それがなければ、進歩が止まってしまう」
SP後の会見で、エフゲニー・プルシェンコはそう語った。4年ぶりに競技に復帰したプルシェンコは、全選手の中で唯一、SP、フリーともに4回転+3回転のコンビネーションを成功させたが、結局フリーで逆転され2位に終わった。ジャッジは4回転なしで全体を無難にまとめたエヴァン・ライサチェクに、新五輪王者の冠を与えた。