MLB Column from WestBACK NUMBER
懐かしの“ノーコン投手”の転身。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byGettyimages/AFLO
posted2007/03/26 00:00
今回はキャンプ取材ならではの話題を1つ……。
「リック・アンキール」という名をご記憶だろうか。かつて彗星のごとく登場した左腕投手といえば憶えている諸氏もいることだろう。そのアンキール“外野手”が現在、招待選手としてカージナルスのキャンプに参加し、打者として第2の野球人生を歩んでいる。
1997年にUSAトゥデー紙の最優秀高校生選手に選出され、ドラフト指名を受け鳴り物入りでカージナルス入り。1998年にカージナルスの最優秀マイナー選手、さらに1999年にも再びUSAトゥデー紙の最優秀マイナー選手に選ばれ、順調にステップアップ。そして2000年に20歳で開幕メジャー入りを果たし、先発投手の1人として11勝7敗、防御率3.50の成績を残す活躍で、一気にスターダムに躍り出た。
だがアンキール投手の転機は意外なかたちで訪れた。ブレーブスと対戦した2000年のディビジョン・シリーズ第1戦に先発。もちろんプレーオフ初登板で、相手先発はグレッグ・マダックス投手。否応なしにプレッシャーのかかる場面で、2回を何とか無失点で切り抜けた後の3回、突然“変調”してしまう。ストライクどころか、捕手にまともに投げることすらできなくなってしまったのだ。1890年以来初めてという1イニング5暴投を記録し、マウンドを降りた。
これ以降、アンキール投手はすっかり“ノーコン投手”に変貌。2001年は24イニングを投げ、25四球、5暴投と復調の兆しがなく、3Aに降格。さらに3Aでも4.1イニングで17四球、12暴投と散々な状態で、ルーキー・リーグまで落とされた。さらに2002年は左ヒジの腱移植手術でリハビリに専念。2003年以降はマイナーでコントロール改善を目指し、ようやく2004年に中継ぎとして5試合に登板し、復調の足がかりを掴んでいた。
しかし2005年3月9日、カージナルスの反対を押し切って、突如として打者転向を宣言し、周囲を驚かせた。確かに打者としての素質も評価されていたが、メジャーでの成績は打率.207、1本塁打。多くの人がアンキール選手の打者転向に疑問を投げかけた。
さらに追い打ちをかけるように、昨年も招待選手としてメジャー・キャンプに参加しながら、紅白戦で左ヒザを負傷。そのまま治療を続けたが、結局6月に手術を受けることになり、1試合も出場できず。このオフは投手時に結んでいたカージナルスとの長期契約が切れ、マイナー契約選手として、野手として本当の意味で再スタートを切った。
「去年は本当に歯がゆい1年だった。プレーしたくてもできないし、ただチームメイトたちがワールドシリーズに勝った姿を見ているしかなかったからね。今はメジャー・キャンプで少しでも多くの出場機会をもらって、自分を成長させるしかない」
打者転向という自分の下した決断に後悔などしているはずなどないが、やはりプレーしたくてもできなかった不満は計り知れないものがあった。それだけに今年のキャンプでのアンキール選手の姿は生気に充ち満ちていた。ここまで招待枠のマイナー選手ながら3月18日の時点で、メジャー・キャンプに踏みとどまり、14試合に出場し、打率.276、1本塁打、5打点と、まずまずの成績を残している。果たして彼の打撃について専門家はどのように見ているのか、ハル・マクレー打撃コーチを直撃してみた。
「彼のバット・コントロールは非常に高いレベルにある。とにかく技術的に大きな問題はない。今は経験を積ませるためにも、少しでも多くの打席に立たせることが最も重要だと思う」
マクレー・コーチが指摘するように、29打席で三振はわずかに3という数字からもバット・コントロールの良さを察することができる。さらに多くの実戦を経験しいろいろな投手の投げる球を打つことで、アンキール選手の打撃センスが向上していくのは間違いないだろう。
「自分でも日に日に打つことに自信が芽生え始めている。今はこれに甘んじることなく、正しい方向へ突き進んでいくだけだ」
田口選手をはじめ昨年のワールドシリーズ覇者の外野陣が今季も全員顔を揃えていることもあり、すでにアンキール選手は開幕3Aスタートだと通達されているという。
「そこでいい数字を残せば、今季中のメジャー昇格も夢ではないと思う。もしダメだったらそれまでさ。あとは自分次第ということだね」
今も投手時代と同じ背番号「49」をつけるアンキール選手。今でもファンから大きな声援を受け続けている人気者が、1日も早くブッシュ・スタジアムに戻れるのを待ち望むばかりだ。