Column from GermanyBACK NUMBER
シュツットガルトの優勝に思う。
text by
安藤正純Masazumi Ando
photograph byGetty Images/AFLO
posted2007/05/23 00:00
当たった!前回のコラムで私は「33節でシャルケが負け、ブレーメンも最終節(実は33節だったけど)で負ける。結局、ラスト2試合を落とさなかったシュツットガルトが優勝する」と予想した。フライ(ドルトムント)の得点も大当たりだ。細部で若干のハズレがあるものの、結果的に見事に的中したのである。これは偉い!(と自画自賛)。
上位3チームの行方を左右したのは、まさにこの33節の試合であった。優勝がかかったアウェーのダービーマッチで激烈なプレッシャーがかかったから……、日本流の報道でシャルケの敗因を探るとこうなりそうだが、それは違う。そんな予定調和は最初から分かっていたことだ。
シャルケが自滅したのは、それまで内部で起きていた小さな不満を解消できなかったからである。不満とは司令塔リンコンを巡る嫉妬と確執に集約される。23節、リンコンはロスタイムに相手選手を殴って5週間の出場停止処分を食らった。試合は負け。そしてリンコン抜きの5試合は2勝2敗1分と、大事な時期に勝点を十分に稼げなかった。
ドルトムント戦でのリンコンは「ゲームを素早く作れず、パス出しも遅く、なによりも試合に対する責任感に欠けていた」とマスコミから厳しく批判された。専門誌キッカーが付けた評価は、6段階評価でなんと最低の「6」。土壇場で力を発揮できないリンコンとチームメイトは怒りの感情を抑えきれず、焦りとミスを連発するようになる。その結果があの0−2だったのだ。
昨秋、ケガをしたリンコンはブラジルに帰った折りに、旧知のトレーナーをドイツに連れて戻り、そのままシャルケのスタッフとして雇ってもらうよう計らった。これに主力選手が反発した。「俺だってケガしたけど歯を食いしばって懸命に頑張っている。なのに、何でアイツだけが…」とハミル・アルティントップとバイラモビッチから恨まれた。スロムカ監督がリンコンを過大評価することも気まずい雰囲気にした。最終戦でリンコンは先制点を決めるなど大車輪の働きをしたが時すでに遅し。頻繁にお家騒動を起こす体質がまたもや裏目に出たというわけである。これじゃリーグ優勝なんて、当分無理だろう。
一方のシュツットガルトは開幕戦で惨敗、17位からのスタートだった。しかし9節に4位に上昇するや、その後はずっと4位以上をキープした。当初は経営陣から「彼は次の本格的な監督を雇うまでの代行だ」と言われていたフェー監督は、ヘルトGMという強力な右腕を得て、リーグでもっとも平均年齢が低く最も野心的なチーム作りに成功した。
2人の最初の仕事は37歳のソルドに「チームの成長を阻害する」として引導を渡すことだった。これが一件落着すると、次は新たな選手の獲得だった。しかし必要な資金が足りない。メキシコからパルドとオソリオを移籍させるだけで精一杯となる。そのため、ユースからFWゴメス、MFケディラ、MFタスチを昇格させた。これが運命を決した。ゴメスは24試合で14得点とチームの得点王(リーガでは5位)になり、19歳のケディラは最終戦で決勝ゴールを決めた。またゴメスはこの間、ドイツ代表選手に選ばれ、デビュー戦で初ゴールも記録した。
シュツットガルトの勝因を一言で表すなら、「地道な努力の継続とチームの一体感」であろう。若手選手の育成と人の和の尊重は、勤勉実直な地元気質に合っている。バイエルンやシャルケのように、派手さゆえに騒がれるというのを彼らは嫌悪する。クリンスマン、レフ、ブッフバルトという“現代の三賢人”がシュツットガルトで過ごしたのにも納得できる理由があるのだ。
今から6年前、私はマガート監督(当時)率いる“痩せっぽっちでハングリーな若者たち”のプレーを見て大きな衝撃を受けた。それが若きクラーニィ、ボルドン、ラーム、ヒンケル、フレブ、ヒルデブラントだった。彼らは短期間で大きく成長し、シャルケ、バイエルン、アーセナル、セビーリャへと出世していった。唯一残ったヒルデブラントも12年間、計221試合プレーしたチームから去り、来季はバレンシアのGKとなる。
地味だが良い仕事をするシュツットガルトに私は一種のシンパシーを感じる。どうしてか、と考えてみた。それは目もくらむビッグマネーやスキャンダルといった現代サッカーが抱える“行き過ぎた先進性”と距離を置いているからだと思う。金で成功を買うなんてまったく夢がない。監督も選手もスキャンダルまみれじゃ、気が引ける。どんなに連勝してもロンドンのあのチームを胡散臭いと忌避するのもそのためだ。そうであれば余計にシュツットガルトの優勝が嬉しいことに思えてくるのである。