プロレス重箱の隅BACK NUMBER
キムケンのうっかり伝説
text by
丸井乙生Itsuki Marui
photograph byTadahiko Shimazaki
posted2005/03/08 00:00
葬式の時、マヌケな行動をする人が必ず一人いる。香典袋に中身を入れ忘れたってのは序の口で、足がしびれて転ぶ人、聴覚と嗅覚に訴えるモノを発する人。葬式でなくとも冠婚葬祭をはじめ、厳かで緊張感を伴うべき場所で「やらかす人」は、日本中に存在しているだろう。
私はかつて、祭壇のろうそくにつけた火が袈裟に燃え移った住職を目撃したことがある。本人は気づかず、右袖をメラメラさせたまま読経を続けているので、近くにいた私が消火したというトホホな思い出だ。住職炎上事件。大真面目な席上であればあるほど際立つ上に、末代までの語り草となる。
2月20日。プロレス界にとって歴史的一戦が両国国技館で行われた。全日本プロレスが誇る3冠、新日本プロレスの至宝・IWGPの両王座が同時に賭けられる史上初のダブルタイトル戦だ。それぞれ故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木を創始者とする両団体の間にはベルリンより高い壁がそびえ立っていたが、今回はチャンピオン同士の絆があったからこそ実現した。
3冠王者・小島聡とIWGPヘビー級王者・天山広吉は親友だった。同い年の二人は新日本プロレスに同期入門で、91年1月にわずか5日違いでデビューを果たした。若手時代は切磋琢磨し、メーンに顔を並べるようになると名タッグ「テンコジ」としてファンに愛された。愛されてはいたが、蝶野ら上の世代がつかえてシングル王座に挑戦するチャンスはなかなか与えられず、小島は02年に全日本へ電撃移籍。トップを獲るために新天地を求めた。天山は事前に移籍を打ち明けられていたが、自らの意思で残留を決めた。袂は分かったが、いつか頂上決戦を――。言葉にしなくても、互いの心は同じだった。
2月20日、その時が来た。場内は超満員、選手入場を告げる暗転に大歓声が起こる。二人の王者は鋭い眼光でリングイン。君が代吹奏を経て、IWGP王座を管理する委員会の長・木村健悟がタイトル戦宣言を読み上げた。
「本日、これより行われるテンザン・ヒロヨシとコジマ・サトルの試合は・・・」
僕、サトシです。02年まで新日本にいたじゃない。昔、あなたの付け人やったじゃない。鋭かった表情に一瞬、虚無が訪れた。一大決戦に水を差し、青春の約束を台なしにする誤読事件にもめげず、サトシは史上初の3冠&IWGP王者になったとさ。
木村健悟。キムケン。51歳のウッカリ者である。かつては平成維新軍の副将として活躍し、稲妻レッグ・ラリアットを得意とする玄人好みの選手。しかし、どこか人の良さがにじみ出るファイトであった。第一線を退いてからも、いろいろにじみ出た。持ち前の美声を生かしてCDをリリース、参院選にも出馬→落選。スカウト部長として送り出した第1号のルーキーは、デビュー直前にコーナーポストからリング着地に失敗して右ひざじん帯を損傷。ウッカリは伝染するという新説を開拓した。
2月20日も誤読だけではなかった。大会中盤の休憩明け、この日62歳の誕生日を迎えた猪木の祝福タイムがあった。テーマ曲「炎のファイター」とともに猪木が入場。リングを模した巨大ケーキに、ちょっと照れた顔を見せた。その時だ。キムケンがマイクを握り、選手を従えて「ハッピー・バースデー」を歌い始めた。歌われている間、猪木は何をすればいいのだろう。微妙な表情で立ち尽くしていると、キムケンは2番まで進んでいく。ドリフ聖歌隊のような天然コントが繰り広げられた。
ふと見ると、聖歌隊の一人がグレーの巨大なぬいぐるみを肩車している。動物とみられるが、顔がやけにリアルで怖い。ぬいぐるみながら、ぐったりとM字開脚している点も気になる。猪木は「20日、はつか、ということでハツカネズミ」と説明。会場が「ああ」と納得したところで、ぬいぐるみの腹にサインを始めた。M字開脚の無抵抗状態で、腹に「闘魂」と書かれるハツカネズミ。その顔は虚ろだった。サイン入りぬいぐるみは、同じ誕生日でネズミ年の長嶋茂雄氏に贈るという。「やらかした」場合、周囲の反応は笑いか虚無か二者択一。長嶋氏に虚無が訪れないか、心配である。