カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:北京「五輪の見方。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2008/02/28 00:00
重慶から、五輪開催まで半年を切った北京に入った。
オリンピックではサッカーよりも、他の競技を取材することが多い。
というのも、サッカーは開催都市で行われないことが多いのだ。
東アジア選手権が行われていた重慶から、北京にやってきた。前の試合の合間にも一度、北京を訪れているので、今回の旅行では両都市間を、空路で2往復することになる。
その際、少し驚かされたのは、国内線にもかかわらず、機内で食事のサービスがあったことだ。むろん軽食なのだけれど、僕がよく利用する欧州の国内線は、サービスがあったとしても、ドリンクのみ。中国の国内線の機内食は、卑しい僕にとっては、嬉しい誤算と言えた。
とはいえ、よく考えれば、それも当然のような気がしてくる。重慶〜北京の飛行時間は2時間15分。欧州で言えば、ミラノ〜アムステルダム間に匹敵する。その間にスイス、ドイツの2か国を挟むバリバリの国際線だ。中国の広い国土を、改めて思い知らされることになった。
にもかかわらず、北京五輪のサッカー競技は、中国の各都市で行われる。早い段階で敗れたチームは、北京に足を踏み入れることなく、五輪の舞台から消えていくことになる。
前回五輪に出場した日本チームも、アテネの土を踏むことができなかった。彼らは、ギリシャの地方都市(テッサロニキとヴォロス)で、無観客試合を思わせる殺風景なスタンドをバックに3試合を戦い、その第2戦目で、決勝トーナメント進出の道を阻まれた。五輪という大舞台で戦った実感は、他の競技の選手に比べて遥かに少なかっただろう。五輪の本当の意味での醍醐味を、堪能したとは思えないのだ。
北京五輪のサッカー競技は、欧州のサイズに照らせば、外国に相当する場所で行われる。北京とその他の都市との距離は、前回アテネ五輪でのアテネとその他の都市との距離の比ではない。五輪本番のサッカー競技に、僕がイマイチ魅力を抱けない理由だ。
遥か遠くで行われるサッカー競技を見るくらいなら、北京市内で他の競技を数多く観戦していた方が、五輪の醍醐味は実感できると確信している。
そんなサッカー競技軽視の考え方が、悪い方に転んだのが、アトランタ五輪になる。伊東輝の決勝ゴールで、ブラジルを倒した世紀の番狂わせを、見逃してしまったのだ。そのとき僕は、信念に従いアトランタにいた。そこから飛行機で、ブラジル戦が行われたマイアミに出向けば、実質3日間を要すことになる。わずか16日しかない五輪の期間中に、アトランタを3日間も離れる気持ちは少しも湧かなかった。結果を聞いて、ビックリ仰天することになったのだが、悔いは少しもなかった。いま振り返ってもだ。
人はそれぞれ趣味に違いがあるので、僕流こそが正しいあり方だと、押しつけるつもりはサラサラない。しかし、その辺りの事情は、日本でお茶の間観戦している限り、掴みにくいことは確かだ。各会場間の距離は、映像がいきなり切り替わるテレビ画面からは想像しにくいのである。
アトランタの時は、帰国するなり知人からこう言って驚かれたモノだ。「アトランタに行ってたのに、ブラジル戦を見なかったわけ?」。
「アトランタにいたからこそ見逃したんだ」は、アトランタとマイアミの距離を、実感として把握している人だけにしか通じない反論だ。
シドニー五輪の時は、こういって呆れられた。「シドニーに行っていたのに、柔チャン(田村亮子)の金メダルを見てないなんて……」。
「その時、僕は競泳会場にいたんです」は、画面がサッサと切り替わるお茶の間観戦者には、伝わりにくい反論だ。競泳会場のすぐ脇に、柔道会場があるかのように錯覚するのは、致し方ないことだ。
バルセロナ五輪の時も、競泳会場のすぐ脇に柔道会場があったわけではなかった。だから、午前中、競泳の予選を取材に来ていた報道陣は、それが終わるや、足早に柔道会場に移動していった。
当時14歳の、岩崎恭子ちゃんが予選でまさかの快泳を見せ、全体の2位のタイムで決勝に進出したにもかかわらずだ。それより小川直也が出場する95キロ超級の方が、金メダルは堅いと踏んだからに他ならない。
僕も、当初はそうするつもりでいたのだが、急遽、予定を変更。岩崎恭子の予選の泳ぎに、金の匂いをプンプン感じたことと、女子200m平泳ぎの決勝のレースを見届けてからでも、95キロ超級の決勝戦に、なんとか間に合う自信があったからだ。
場所はバルセロナ。サッカー通ならではの土地勘があったのだ。競泳会場があるのはモンジュイックの丘。柔道会場は、普段バルサのバスケ部が試合をする、カンプノウに隣接する体育館。30分少々あれば移動できる。
読みはまんまと的中した。自分で言うのは口幅ったいが、これはちょっとした痛快劇だった。岩崎恭子ちゃんの金を、実際にナマで見た日本人は決して多くない。そのあと、テレビの画面が切り替わるがごとくの素早さで柔道会場に駆けつけ、小川直也の決勝を観戦できた日本人に至っては、さらに少ないはずだ。実際には、僕は準決勝戦に間に合っているのだが、それもこれも、現地で取材している取材仲間には威張れても、お茶の間観戦者には通じない単なる“自己満”だ。帰国後、そのことをいくら自慢しても、感動してくれる人は誰もいなかったのである。
“自己満”をさらに言えば……。アテネ五輪でも僕は柔道会場と、競泳会場をスピィーディに移動し、1日に日本人の金メダル獲得シーンを3度も目撃する離れ業を演じている。柔道の男女の最重量級で、鈴木桂治と塚田真希の金メダルを見届けるや競泳会場へ。柴田亜衣がデッドヒートの末に金を獲得した女子800m自由形の名勝負もバッチリ観戦することに成功した。
できれば1日に、複数の競技を見たい。日本人の金メダルシーンを数多く見たい。欲張りたい派の僕にとって、五輪の善し悪しを論じる決め手は、各会場間のアクセスになる。バルセロナは合格。アトランタは失格。シドニーはまずまず。アテネは合格だった。
では、いま僕がいる北京はどうなのか。サッカー競技を除けば、合格ムードが漂っていることは事実。陸上、競泳、体操という五輪の3本柱の会場が、隣接している点が何より素晴らしい。現場観戦が快適に送れそうな気配がある。問題の大気の汚染も、前回訪れた時より、ずいぶんマシになったような気がするわけで……。
最後にお知らせを一つ。僕が責任編集する雑誌風の単行本『サッカー番長』(飛鳥新社刊)が、2月27日に発売になりました。かなり面白いと自負していますので、よろしかったらぜひ!