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変わりゆく大相撲。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

posted2005/12/21 00:00

 日本でもっとも古い歴史を持つプロスポーツは相撲である。江戸時代にいまとほぼ同じ形ができて、人気の横綱、大関などは大名がタニマチとして抱えていた。

 幕末、幕府軍が薩摩藩の江戸邸を焼討ちにするということがあったが、それを昼夜兼行で京都に駆けつけ、西郷隆盛にまっさきに知らせたのは、江戸相撲の横綱の陣幕久五郎であった。彼は、薩摩藩の島津久光の抱え力士だったのである。

 しかし、いまや、その相撲を支えているのは外国人力士で、日本人ではない。11月の九州場所の番付けでは、幕内42人のうち12人が外国人で、十両以下にはさらに40数人がひしめいているということだ。

 なかでももっとも強いのは言うまでもなくモンゴル出身の朝青龍だ。九州場所の優勝で、史上初の7連覇と、年6場所完全制覇という離れ業をやってのけた。目下のところ、無敵といっていい。

 この朝青龍は評判が悪い。風邪を引いたといっては稽古を休み、モンゴルに帰るといっては稽古を休む。横綱審議委員会の総見をすっぽかすこともしばしばだ。また、土俵上の態度、顔つきも不遜きわまりない、それが相撲伝統の礼をわきまえない行為だというのである。

 だが、その朝青龍に日本人力士は誰もかなわない。九州場所後に琴欧州が大関に昇進し、やっと朝青龍に対抗できるような力士があらわれたが、彼も日本人ではない。ブルガリア人である。

 変われば変わったものだ。

 かつて、ハワイ勢の小錦と武蔵丸が強かったころも危機が叫ばれた。

「このままでは相撲は外国人に席巻されてしまう。日本の伝統文化はどうなってしまうのか」

 いまは、あのころの比ではない。マスコミの嘆きもひとかたではなく、目にするのは、相撲協会と日本人力士に奮起をうながす声ばかりだ。

 「協会はもっと危機意識を持ち、将来性のある若者を全国からスカウトし、各界に入門させて鍛えていく必要がある。この努力を怠れば、ジリ貧状態になることは時間の問題だ」(12月4日付産経新聞)

 しかし、それは無理な願いというものだろう。

 かつて日本中が貧乏だったころは。白い飯を腹一杯食わせてやるといえば、田舎の若者はみなよろこんで相撲部屋にはいったときくが、いまはフリーターでもニートでも飢えることなく生きていける時代なのである。自由といえばこれほど自由な時代もない。そういう時代に、親方には竹刀で殴られ、兄弟子には小突かれ、そのうえチャンコ番や兄弟子の付き人をつとめなければ一人前になれないというような世界に誰が好んで行くだろう。

 そもそも、親方たちが外国人をスカウトするのも、殴られたり小突かれたりする生活にはいまの日本人はとても耐えられないと、彼らが一番よく知っているからにほかなるまい。

 新弟子のころに流した涙を。

 「目から出た汗だ」

 といったのはハワイ出身の高見山だったが、むしろわれわれは、そういう生活に耐える外国人によって相撲の伝統が何とか守られているということをよろこぶべきなのではあるまいか。

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