レアル・マドリーの真実BACK NUMBER
レアル・マドリーが日本に来て良かった。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byKoichi Kamoshida/Getty Images/AFLO
posted2004/08/10 00:00
「今週のベッカム」の中で昨夏の有料公開練習を“猿の劇場”とこきおろしてから、1年――。プロ意識の欠けた無気力な試合ぶりに“レアル・マドリーは日本に来なくていい”と憤慨してから、2カ月半――。
あのレアル・マドリーが、性懲りもなくやって来た。
またもや金稼ぎの物見遊山で、日本人を馬鹿にするのなら、筆誅を加えてやろう、と手ぐすねを引いていたが、まったく当てが外れた。
今夏のレアル・マドリーは真摯に公式イベントをこなし、真剣に親善試合を戦った。南米やイタリア、スペインから大挙して訪れたクラブの中には、ご存知のように2軍に近いメンバーで、お遊びのようなゲームをして、大金をせしめていったところもある。そんな中、私の見聞きする限りレアル・マドリーの振る舞いは、グラウンドの外でも中でも世界のトップクラブに相応しいものだった。
なにせ、去年有料(3000円)だった公開練習が、なんと1万2000人(4000人×3日間)無料招待という太っ腹ぶり。加えて、子供たちを集めてサッカー教室を開き、選手との記念撮影会を実施するなど、サービスも抜群だったようだ。こうしたファンを大切にし、後進を育てる姿勢こそ、ビッグクラブの矜持であり、レアル・マドリーに求められるものだ、と私は思う。
肝心のグラウンド上でも、期待を裏切らなかった。
ジェフ市原戦(7月29日)、東京ヴェルディ1969戦(8月1日)と2試合戦ったが、注目すべきは、前者と後者がフィジカル・戦術面でまったく別のチームに見えるほど、進歩していたことだ。
市原戦ではいかにも体が重そうだった。グティとフィーゴを除けば、総じて出足が悪く、ボールホルダーへの寄せが遅く、マークを外す動きやスペースへの走り込みが乏しかった。
その代表格がベッカムだ。
ボールに触ってなんぼのボランチでありながら、味方がボールを持つと、スッと市原の選手の後ろに隠れてしまう。相手がマークするのではなく、自分から進んでマークされに行く。要は、「パスが欲しくない」という、明確過ぎる意思表示。本人は否定するだろうが、私には絶対の自信がある。何ならビデオを見ながら指摘してもいい。おそらく疲労がピークに達していたのだろう。
戦術面では、フラットに並ぶ最終ライン4人のラインコントロールに甘さがあった。
ディフェンダーの背後を狙うロングパスで簡単に突破される。これは、1.パスの出し手へのプレシャーが緩いこと(前線の選手=特にボランチに責任有り)、2.オフサイドトラップのかけ損ない、3.マークの役割分担ミス(パスの受け手に対し、競り合う選手、カバーする選手の役割が不明確)、が原因。ペナルティエリアの周辺で波状攻撃を受けていたのは、4.ボールをクリアした直後の押し上げ不足による。
ミスと言えば、市原の先制点は、カシージャスのボーンヘッドだった。
フリーキックの際に壁をボール側(ニアポスト側)に置いて、残ったアングルをケアする(=ファーポスト寄りに立つ)のは、小学生でも知っておくべき原則。が、あの場面、カシージャスはゴールマウスほぼ中央にいて、ファーポストに飛んだボールに手が届かなかった。たとえば、昨年のFC東京戦でのベッカムのゴールや、今年のヨーロッパ選手権イギリス戦でのジダンのゴールも、同様のミスから生まれたもの。一流選手に最も多い、最も初歩的な誤りだ。
さて、そのわずか3日後、レアル・マドリーは見事にこれらの欠点を修正してきた。
ベッカムが別人なのは、開始52秒のインターセプトですぐわかった。彼に限らず、ソラリが、ジダンが、エルゲラが、相手ボールホルダーを追い込み、囲んでしまう。フィジカルコンディションの良さも、モチベーション(特に、守備意識)の高さも前の試合とは比べものにならない。そもそもレアル・マドリーは、スロースターターで相手の出方を見るチームだが――親善試合で、格下相手ならなお更だが――カマーチョ監督に檄を入れられたのか、本番並みの勢いだった。
チーム全体が前がかりだったのは、最終ラインが高かったからでもある。
本来、レアル・マドリーはコンパクトなスペースでサッカーをするチームではないが、この試合ではセンターライン付近まで押し上げるシーンも見られた。エルゲラがボランチ入ったことで、ラインの上げ下げをコーチングする役は、新加入のサムエルになろう。自陣深くでの余裕の無いプレー:4.ボールをクリアした直後の押し上げ不足、はまだまだ解消されていなかったが、高いライン維持、そしてオフサイドトラップの成功だけでも大きな進歩だ。
スコアは4−0だったが、この日のレアル・マドリーなら、1−0でも楽々逃げ切っていただろう。そもそもボールに触らせてもらえず、あれだけ忠実にマイボールを追われ、巧みなラインコントロールで裏へのロングパスを封じられては、東京ヴェルディに勝ち目は無かった。
攻撃については文句が無い。
アングルがあってもシュートに行かず、わざと不可能に近いパスを試みるなど、“遊び”があったが、これを批判するのはお門違いというものだ。あえて効率を犠牲にして、高度なテクニックとプレーの美しさを披露することにこだわった、彼らのエンターテインメント精神に素直に拍手すべきだろう。
ジダンのマルセイユ・ルーレットとキーパーをかわしたフェイントは、あれだけで入場料の価値は十分ある。真剣勝負の場でも決まったに違いない、本物のキレだった。2点目でのベッカムのパスとロナウドのスペースへの走り込みの絶妙さ、胸でのトラップとシュート。3点目のフィーゴのディフェンダーを飛ばしたフェイントと、キーパーの届かないポストに当てた見事なフィニッシュ――。
個人技だけではない。4点目のラウール→フィーゴ→グティ→ラウール→グティ→ラウール→モリエンテス、とワンタッチパスで繋いだカウンターは、技とコンビネーションの世界最高の結晶。あんなに速く、隙が無く、美しいゴールはシーズン中でも滅多に見られない。
今年のレアル・マドリーは猿ではなかった。日本に来てくれて本当に良かった。