リーガ・エスパニョーラの愉楽BACK NUMBER
中村俊輔を守ってくれたハルケ。
その急逝がリーガに与えた影響。
text by
中嶋亨Toru Nakajima
photograph byGetty Images
posted2009/08/30 08:00
8月11日に新スタジアム「コルネジャ=エル・プラット」で行われたダニエル・ハルケ選手の追悼式。一日中、途切れることなく訪れたサポーターは5万人に達した
エスパニョール主将ダニエル・ハルケが心不全で急逝してから、3週間が経とうとしている。スペインではトップレベルからユース年代の試合に至るまで、プレシーズンマッチが始まる前にはハルケのために黙祷が捧げられている。またアーセナルのセスクも「21 Jarque」と入れたアーセナルのユニフォームを掲げるなど、スペインサッカー界はハルケを心に刻み込もうとしている。
ピッチ内外で中村俊輔を守ってくれていた主将ハルケ。
エスパニョールのユースで育ち、トップチームの主将になったハルケは、クラブのシンボルとなれる存在感と実力を併せ持っていた。スペイン代表監督デル・ボスケをして、「現代サッカーではほとんど見なくなったタイプの選手」と言わしめ、A代表デビューも近いと見られていた。
主将としての存在は、今季からエスパニョールの一員となった中村にとっても、頼もしいものだったはずだ。新加入の中村を食事に誘ったりと、ハルケが気遣いを見せていたことは日本でも知られている。
また、ハルケは指揮官ポチェッティーノに中村の能力の高さを感嘆と共に語っていたという。ポチェッティーノ監督はこう明かしている。
「謙虚で落ち着いている中村が早くチームに馴染めるように、ハルケを始めとしたチームメイトたちが振舞っていたのは知っている。それにハルケは私と同じく、中村の柔軟なプレースタイルはチームを機能させるためにとても有効だと考えていたようだ。中村のボールを失わない技術、思ったところにボールを運べるキック精度、それにフリーキックの正確性。ある食事の後に私のテーブルにやって来たハルケは中村が問題なくチームに受け入れられていることを報告し“良い選手がやって来た”と言っていたものだ」
26歳でエスパニョールの主将を務め、まさにこれからキャリアの最盛期を迎えようとしていたハルケ。だが、イタリア合宿のホテルでハルケの心臓は悲鳴を上げ、彼の人生は幕を閉じてしまった。その数日前に行われたフィジカルチェックでは何の問題もないと見られていたにもかかわらず。
「医療技術が追いついていない」との見解が主流だが……。
このハルケの悲報は、2年前に同じく心不全で急逝したセビージャのアントニオ・プエルタ、また自らの心臓疾患を明かして昨年バルセロナを引退したリリアン・テュラム、さらに昨季試合中に意識を失ったレアル・マドリーのデラレッドの名前を浮かび上がらせる。近年、トップレベルの選手に相次ぐ悲報は否応無しにサッカー界の不安を掻き立てている。
ハルケが亡くなってから、スペインメディアは選手の心不全を巡って様々な報道を行った。中にはドーピング疑惑という見解もあったが、最も主だったものは「サッカーの変化に医療技術が追いついていない」という見解だった。
確かによりコンパクトになった現在のサッカーでは20年前よりも90分間で選手達が走る距離は長くなり試合数の増加も選手達にとって負担となっている。