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レスラーとマカロニサラダ。
~映画『レスラー』に寄せる思い~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

PROFILE

photograph byNiko Tavernese for all Wrestler photos

posted2009/06/05 06:00

レスラーとマカロニサラダ。~映画『レスラー』に寄せる思い~<Number Web> photograph by Niko Tavernese for all Wrestler photos

 今回は架空の人物について書く。映画の登場人物を実在の人物だと思って書く。邪道かもしれないが、私には彼の人生が気にかかって仕方がない。男の名はランディ・“ザ・ラム”・ロビンソンという。映画の題は『レスラー』という。あ、あれか、と思った方は、ぜひとも映画館に足を運んでいただきたい。必見である。ラムに扮したミッキー・ロークの姿を眼で追いつづけるだけで、109分の上映時間があっという間に過ぎていく。

人生をフェイクで塗りつぶしてきた老兵。

 ラムはプロレスラーだ。全盛期は1980年代に迎えた。マディソン・スクウェア・ガーデンを客で満杯にし、ファンの連呼に応えて決め技のラム・ジャム(トップロープからのボディプレス)を炸裂させていた。

 いまのラムはすでに50代中盤だ。人生をフェイクで塗りつぶしてきたせいか、肉体は相当にくたびれている。本名はロビン・ラムジンスキー。盛り上がった筋肉はステロイド注射の産物だ。長い金髪は美容院で、褐色の肌は日焼けサロンで捏造されている。

 そんな身体で、ラムはリングに上がる。勝負はフェイクだが、痛みと流血は本物だ。巨大なホッチキスを胸に打ち込み、バンデージに忍ばせた剃刀で額を切って、試合後は控え室で止血と治療を受け、挙句の果ては心臓発作で倒れる。バイパス手術を受けた彼は、医師にプロレスを禁じられてしまう。

マカロニサラダと男の悲哀。

 ここから先は、タッチが変わってくる。フェイクを通して生きてきた男がフェイクを禁じられてしまうのだから、さまざまな葛藤が生じるのは当然のことだ。ラムは当座の生活費を稼がなければならない。親しくなったストリッパーとの関係は発展させたいし、別れた娘との関係も修復したい。どれもこれも、いままでは先送りにしてきた問題だ。さあ、どうするか。

 人生の分水嶺に立たされたラムに、監督のダーレン・アロノフスキーはとても印象的な場面を用意する。ラムを「スーパーマーケットのお惣菜売り場」に立たせるのだ。

 ここは名場面だ。白衣を着たラムは、シャワーキャップのような衛生帽を頭にかぶり、「ロビン」の名札を胸に付けさせられる。そんな情けない姿で、立派な体格をした初老のレスラーがおばさん相手にマカロニサラダをパックに詰めなければならない。だが、ラムはふさぎこまない。けっこう楽しげに仕事をこなし、実は壊れているのになぜか控え目なやさしさを身体の周囲に漂わせて、自身のハートのありかを観客にそっと指し示すのだ。

偽物まみれのレスラーが持つ「本物」とは?

 この描写があればこそ、終盤の覚悟が生きてくる。フェイクと苦痛の複雑な関係も、あらためてじっくりと問い直される。ラムは、たんなる「壊れた男」に甘んじるのではなく「壊れても優雅なハートを持った男」として観客に記憶されるのだ。ロッキー・バルボア(『ロッキー』)やジェイク・ラモッタ(『レイジング・ブル』)といったボクサーたちは、こんな肖像画を与えられなかった。ジェイク・ロバーツやミック・フォーリーといった実在するレスラーたちの肖像も、ラムとは似て非なるものだ。それでも私は、ラムを実在の人物と思いたい。その肉体こそフェイクとリアルの間で揺れているものの、ラムは自身の情感を一度たりとも偽造しようとしていない。

※ 映画『レスラー』は、6月13日よりシネマライズ、TOHOシネマズシャンテ、シネ・リーブル池袋ほかで全国公開。

ランディ・ザ・ラム

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