Column from SpainBACK NUMBER
サムいのはカペッロだけではない。
text by
鈴井智彦Tomohiko Suzui
photograph byTomohiko Suzui
posted2007/02/15 00:00
カペッロも青ざめた。
「辞任?罪は私にある。契約をまっとうしたいが、しかしそれはプレジデントが決めることですから」
カテナチオ=カタイ守備。レアル・マドリーのイタリア人監督、カペッロの自信作ともいうべき、1対0の美学が崩れかけている。いや、崩れた。カペッロはビジャレアル(1月27日)、レバンテ(2月4日)と2試合連続で0対1という、理想の数字で叩き潰されては、顔色も悪くなる。
これまで、ユベントスでもミランでも、彼なりのフットボール哲学を貫いてきた。だから、「レアルでも」という慢心はあったことだろう。それが悪いとは思わない。指揮官に自信がなくては選手もついてこないから。モウリーニョなんてのは、自信家で成功した代表例だ。
ミランを優勝させたのち、レアル・マドリーにやってきた10年前のカペッロの作品は、素晴らしかった。スーケルとミヤトビッチの2トップは脅威でもあった。レドンドはエレガントで、ラウールは若さに溢れていた。
いまのレアルには、クライフの残像を追い求め続けていた、数年前の情けないバルサを思い出す。マドリスタもまた、カペッロに10年前のレアルを望んだ。良き時代とは、一生記憶から消えないようだ。
ビジャレアルのペジェグリーニ監督は開幕戦前にこう話していた。
「今シーズンのレアル・マドリーは何も変わってはいない」
新会長、新GM、新監督、新選手、etc。それでも、何も進展がないというペジェグリーニは、戦術的なことよりもクラブの内部を指していたのではなかろうか。レアル・マドリーの環境は昨シーズンと似たり寄ったりである、と。
たとえば、しばらくベンチから外されたエルゲラは、移籍先も探したという。それが、ケガ人が出たことから何もなかったように呼び戻された。レアルは手のひら返したわけで。こんな家族はアリエナイ。冷めている。
元レアル監督のデル・ボスケはこう言った。
「シーズン半ばの対策として、ロナウドを売り、ベッカムを放出した。危機を引き起こしているのは内部からであって、外からではないのです」
しかしながら、カペッロのフットボールがいつも出鱈目かというと、そうでもない。ロベルト・カルロスからミヤトビッチへ一直線のロングボールが何発も飛んだ10年前に比べれば、よっぽどボールは動いている。
もしかするとカペッロは、「退屈なスタイル」というフレーズがついて回るのを嫌っているのかもしれない。彼が1対0の勝利に、美しさを求めていたとすると、どうだろうか?イタリアで成功してきた勝利至上主義に「美」を加える。しかも、ここスペインで。
昨年10月のバルセロナ戦におけるレアルは、結果と美しさが両立していた。その後、チームのリズムを狂わせたのは、負傷者の続出であることは確かである。
ただ、手負いのレアルもチャンピオンズ・リーグでまだ残っている。スペイン・リーグにしても、優勝の可能性は十分ある。いうほど絶望的ではない。まだ生きている。
退屈なのは何もカペッロだけではない。今シーズンのスペイン・リーグは、ちょっと寒い。レアルに勝利したビジャレアルも、翌週にはレクレアティーボにあっさり負けたりする。首位を走るバルサにしても、しっくりしない。以前の貫禄はない。
どうも時計の針が壊れているみたいだ。いったい誰がどこを走っているのか、わからなくなるときがある。こののらりくらりとした雰囲気は、いつ終わるのだろうか。
春が恋しい。