総合格闘技への誘いBACK NUMBER
総合の礎を作った“神様”ゴッチ
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2007/08/13 00:00
“神様”の死──。
7月29日(米現地時間)、名レスラーだったカール・ゴッチ氏が自宅のあるフロリダ州タンパで亡くなった。享年82。
かつては“プロレスの神様”と呼ばれ、多くの日本人レスラーから多大なる尊敬を浴びていた氏ではあるが、ここ数年は臀部の手術を受けたことで足が不自由になり、プロレス団体の顧問には名を連ねてはいたものの、あまり表舞台には出てこず隠居の生活を送っていたという。
日本のマット界において、ゴッチ氏の功績は計り知れない。日本へは1961年に初来日し、当時絶頂を極めていた力道山とも対戦。1968年に日本へ移り住むと、日本プロレスのコーチに就任し、通称『ゴッチ道場』を開設。アントニオ猪木に卍固めやジャーマン・スープレックスを伝授したことはファンの間では有名な話しである。
後年、氏はゴッチ道場をタンパに移すと、前田日明や高田延彦、藤原喜明らが出入りするようになり、彼らのような後の日本総合格闘技界を牽引する選手たちからゴッチは絶大な支持を受けた。新日本の若手選手たちは例外なく氏の指導を受けたものだ。
彼らを虜にした大きな要因となったのは、ゴッチの高い理論とスキルにあった。
氏は1948年のロンドン五輪にベルギー代表としてレスリング競技に出場すると、その後、イギリスに渡りランカシャーレスリングを取得。このランカシャーレスリングとは、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとも言われ、日本では通称キャッチレスリングと呼ばれているものである。
日本の武道やグレイシー柔術とは異なるシュートテクニックであり、簡単に競技体系を説明するのなら、レスリングのテクニックを中心にサブミッションを組み合わせたものといった感じだろうか。場合によってはヒジもヒザも使ってもよい。
近年では、昨年のPRIDEグランプリで準優勝したジョシュ・バーネットがキャッチレスリングの使い手として注目されている。
実はこのゴッチ・テクニック、プロレス的な考え方に則したような見た目が派手なモノでなく、極めて質実にて剛健、つまり地味なテクニックだった。ゴッチ自身は真に強くはあったが、その正統派のテクニックのせいでプロレスそのものが地味になってしまい、プロモーターの不評を買い、パッとした活躍はできなかったという。
しかし、のちに総合を目指した若手レスラーたちは、ゴッチのこのテクニックに心酔し、道場の練習などで積極的に使い、総合格闘技への礎を作っていった。もちろん、すべてのゴッチ・テクニックが総合に対応できるというものではないのだが……。
晩年、ゴッチは総合格闘技に否定的な考えを持ち、キャッチレスリングの優位性を語っていたが、いずれにせよ氏が今日の日本の総合格闘技に大きな影響を与えたといっても過言ではないだろう。
天に召された神様へ──合掌。