ジーコ・ジャパン ドイツへの道BACK NUMBER
2005年W杯アジア最終予選 VSイラン戦 (2005年8月17日)
text by
木ノ原久美Kumi Kinohara
photograph byNaoya Sanuki
posted2005/08/19 00:00
日本は2006年ワールドカップ(W杯)予選を、8月17日、祝福と共に終えた。
すでにドイツ大会への出場権を獲得していた日本は、横浜国際競技場で行われたアジア地区最終予選の最終戦でイランを2−1で退け、B組首位で全日程を終了。最終予選を5勝1敗、一次予選からの通算では12戦で11勝1敗の堂々の成績で突破し、来年6月9日に開幕する4年に一度のサッカー界最高峰の闘いへ臨むことになった。
本大会出場をすでに決め、試合へむけての選手のモチベーションが懸念されたが、予選で唯一黒星を献上していた相手という点が幸いしたのか、今月上旬の東アジア選手権2試合に外されたことが奏功したのか、従来の先発組で臨んだ日本は立ち上がりから速いペースで積極的に相手ゴールへ挑んだ。
フィールドの高い位置でボールを奪って、素早く前へフィードする。長いボールやサイドチェンジを交えて、相手の裏のスペースをFW大黒やFW玉田が狙う。特に玉田はここ数試合とは見違えるような動きを見せて、何度となくチャンスを作った。
前半28分にはその玉田が左からゴール前へ折り返したボールに、MF加地がファーサイドで走り込んで先制。後半31分には左CKからFW大黒が決めて2点目を奪った。後半34分にベテランFWアリ・ダエイにPKを決められたが、最後まで試合の主導権は握っていた。
予選通過の使命を背負っていたプレッシャーから解放された試合だったという面もあるが、相手の特徴や出方を想定して、狙い通りに試合を運べた点は評価できる。
「体格はいいし、足元にキープさせるとうちのチャンスはない。相手は特に背が高いので、相手のリズムにすると速いクロスを入れられて劣勢に回る。ポジションを目まぐるしく変えて相手を走らせ、機を見てスルーパスを入れて試合を作ることを考えていた」とジーコ監督は話した。イランという相手の向こうに、W杯で出会う屈強な対戦相手のことが念頭にあったのかもしれない。
「最後は精神的な強さ。球際や1対1で絶対に負けないという気持ち、1位通過するという気迫がみなぎっていた。これまでの苦労が報われるような1勝だった」と、ジーコ監督は選手たちの努力をねぎらった。
だが、点を決めた後にしばしば見られた自陣ゴール前でのボール処理のもたつきはいただけない。気の緩みを露呈するもので、実際に日本が2点目を決めた3分後には、ダエイにペナルティを与えている。このあたりの甘さは、今後世界レベルでの戦いには致命傷になりかねない部分でもある。
「このままW杯で世界をあっと言わせることはできない」と、ブラジル人指揮官も認め、「大会までの10ヶ月で個人の資質をいかにあげていくか」と課題を口にした。
そこには、1対1で競り負けない身体的強さ、気の緩みを見せない集中力などの精神面も含まれる。
2004年2月から始まったW杯予選を通じて、代表チームは成長した。
それは国内組と言われる選手層の底上げ抜きにはあり得なかった。特に2004年アジアカップ制覇で国内組が得た自信は、精神面での強さをもたらし、個々のプレーのレベルアップを生み、それが海外組絶対優位だったチーム構造を変えることにつながった。チームとしての一体感も生まれた。
予選突破が決まり、最終戦を前にした東アジア選手権では、ジーコ監督はさらに5人の若手を招集し、3試合中2試合で彼らを中心としたチームを編成。この日のイラン戦でも、後半MF今野とMF阿部を投入。海外組、国内組に加えて五輪世代の若手という新しい構図が、チーム内競争を生み出し、チーム全体を活性化している。好ましいことだ。
結局、最終予選終了までにジーコ監督が招集した選手は53人。「勝っているチームは変えない」というポリシーを貫きながら少しずつ進めてきた、チームの底上げの結果である。代表チームとしての一体感を重視し、それがプレーの連係の基盤になると考えている指揮官は、チームの色を大きく薄めずに同色の者を増やしていくことに腐心し、その分時間をかけてきたようにも思える。そして、W杯へのチームの基盤は出来上がった。
だが、個々のレベルではまだ世界との差は少なくない。先日のコンフェデレーションズカップでもそうだったが、世界との闘いは、あらゆる面での個々の技量向上抜きには語れない。
W杯開幕まで10ヶ月、大会メンバー発表を5月半ばと考えると、選手に残された時間は9ヶ月。それがクラブで自分を鍛えて高める、自分との闘いの時間である。そこでどれだけ厳しく臨めるかが、W杯での日本の結果を左右するのは間違いない。
W杯本大会へ、カウントダウンは始まっている。