総合格闘技への誘いBACK NUMBER
PRIDE消滅の衝撃
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byTomoki Momozono
posted2007/10/11 00:00
ついにこの日が来たか、というのが最初の印象だった。思ったよりも早い幕切れ……。
10月4日、PRIDEを運営するPRIDE FCワールドワイドの日本人社員20人が突然、解雇通告された。社長のジェイミー・ポラック氏から電話で一方的に伝えられたということだが、これにより日本の総合格闘技を牽引してきた象徴的なリングが、10月11日の旗揚げ10周年を待たずに事実上姿を消すことになった。ドリーム・ステージ・エンターテインメント(以下DSE)からUFCオーナーのロレンゾ・フェフィータへPRIDEの全権譲渡が発表されたのは3月27日のこと。しかし、その後開催された大会は4月8日の『PRIDE.34』だけ。この大会は以前から予定されていたイベントなので、新会社であるPRIDE FCワールドワイドが運営したとは言いづらく、結局のところ何の大会も実績も残せないまま、新体制になったはずのPRIDEは、わずか半年ほどで消滅してしまったことになる。
誰がこんな結末を予想していただろうか。UFCとの全面対決を謳い、格闘技ワールドシリーズといった大きなアドバルーンを揚げておきながらのこの結末。期待していたファンを置き去りにした後味の悪い幕切れだ。なかなか開催が決まらない大会、その一方で母体が一緒のUFCなどに続々と流出していく有力選手たち。これはまるで外資系ファンドが日本企業を買い漁り、それらを解体し売却することで利益をあげる、いわゆる“ハゲタカ”の構造と一緒ではないか。PRIDEは人気やブームといった要因ではなく、経営の理論の元、半ば強制的にその歴史にピリオドを打ってしまった……。
とまあ憤ってみるものの、経営側にも様々な事情があったようだ。
例えば3月に買収を発表したものの、実際には法的手続きや内部調整ですったもんだがあり、結局PRIDEを買収できたのは5月下旬のことだったという。
それに付随し、体制が固まらない以上、大会開催のアナウンスはできず、そうこうしているうちに選手たちがボードックなど他団体へと流出し始めた。オーナーサイドは自分たちの身を守るために、流出を阻止すべく有力選手たちにUFCで戦うことを進言し契約するに至ったという。まだ動き出せないPRIDEよりも、すでにハードとして完成しているUFCへ招いたほうが選手にとってもオーナーサイドにとってもメリットがある。しかしその結果、実力のある選手は一部の選手を残しほとんどPRIDEから去っていってしまった。
そして最大のネックは、地上波放送の契約がとれなかったことだった。豊潤なテレビマネーなしでは運営や経営は難しいとの判断があったようで、DSEも地上波放送を失ってからその勢力を削がれたことを考えれば当然のこと。ならばペイパービューもあるじゃないかといった意見もあるが、アメリカと比べその規模は雲泥の差であり、やはりK−1などを見てもわかるように日本で商売をするならば地上波放送は不可欠なのである。
オーナーのフェティータ氏は、これまでテレビ中継さえ取れれば事態は好転すると言っていたが、結果的には過去DSEがやってきたことでテレビ中継の契約が取れないとも語っており、今回の結末は日本の放送事業の壁に阻まれたギブアップ宣言ととってもいいだろう。
さて、気になるのは青木真也などPRIDEの再開を熱望していた選手たちはもちろんであるが、解雇された社員がどうするかである。中にはPRIDE創成期から団体を支え、選手たちから絶大な信用を得ている人物も含まれている。今回の結末を見るにあたり、逆説的に考えれば資本力がありテレビがつけば何か事が起こせるということになる。そう簡単ではないのは分かっているが、解雇された社員たちの動向に注目したい。