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星野JAPAN 「遠からず、近からず」 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

posted2007/12/28 00:00

 星野仙一という監督の深謀遠慮を端的に示すさい配があった。北京五輪への出場をかけた「アジア野球選手権2007」。星野監督率いる日本代表は初戦でフィリピンを10対0、第2戦で韓国を4対3で破り、最終日の台湾戦に勝てば北京へのキップを確定できるところまできていた。その勝負をかけた台湾戦の7回、無死から死球で出塁した村田修一の代走に、星野監督は主将の宮本慎也を送った。

 6回にダルビッシュ有が2ランを浴びて1対2と逆転された直後の攻撃。単純にベンチを見回せば代走に送れる選手は荒木雅博、井端弘和、そして宮本と少なくとも3人いた。

 だが、この場面、星野監督にとって代走は宮本でなければならなかったのだ。宮本はアテネ五輪の長嶋JAPAN、世界一に輝いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の王JAPANと2つの代表チームで選手のまとめ役として引っ張ってきた。星野監督も今回の日本代表編成で「まず最初に決めた選手」が主将に指名した宮本だった。そしてここで宮本を指名したことが、日本代表に北京へのチケットをもたらすことになる。

 7回に場面を戻そう。稲葉篤紀の安打で一、二塁として、打席の里崎智也へのサインは送りバントだった。台湾内野陣が思い切ったシフトを敷く中で決められるか、失敗するか。オーバーではなく、勝負を決める送りバントといえた。初球をファウル。2球目を見送ったカウント1-1からの3球目。里崎のバントはマウンドから駆け下りてきた投手の陽建福の目の前に転がった。

 振り向きざまに陽が三塁へ送球する。完全にタイミングはアウトだった。だが、このとき宮本が見せたスライディングが、紙一重で日本に運をもたらした。

 「間に合わないと思ったんで、ひざからかましにいったんですけど……。うまく入ってくれました」

 ブロックしていた三塁手・張泰山の左足に宮本が左ひざをぶつけるように滑り込む。その衝撃で、張の足が三塁ベースから離れた瞬間、三塁塁審の両手が開いた。

 「あそこは宮本しかないと思った。迷わなかったよ」

 指揮官は言い切った。

 「足の速さとか、色々なことを考えれば選択肢はいくつかあったかもしれん。でも、勝負だと思ったからな。宮本の経験と技術、それに勝ちたいという気迫にかけたんや」

 時と場面によっては、コイツでなければならないときがある。北京へのキップをきめるためには、まさにこのときこそ宮本でなければならない場面だったのだ。

 無死満塁となったところで今度は三塁の宮本が驚く番だった。

 「(三塁コーチャーの山本)浩二さんから“あるかもしれんぞ”と言われたんですけどね。正面突いたらゲッツーもあるんですよ。常道ではない作戦だから……。だから、サインが出た瞬間は、ちょっとビックリしましたね」

 星野監督自身も「セオリーではあり得ない」と振り返った無死満塁からのスクイズ。だが、「まず同点。次はそこからだという思いだった」という奇襲は見事にはまった。

 サブローがお手本のようなバントを三塁寄りに決める。躊躇なくスタートを切った宮本がホームを駆け抜けた瞬間に、試合の流れは、日本代表へと一気に傾いていった。

 「批判を恐れるそぶりをみせないから、選手はついていきやすいですよね。あのスクイズもそうだし、韓国戦で岩瀬を3イニング目まで引っ張って、ピンチになっても交代させなかったのもそうでした。失敗したら袋叩きでしょう(笑)。でも、そういうのを恐れるそぶりをみせない。それは選手を信頼しているということの表れでもあると思うし、すべてのさい配が計算ずくだと思えてくる。思いつきではない、少なくともそう見えないから、選手は安心してついていけるんだと思います」

 宮本は大きくうなずいた。

 「遠からず、近からず」

 宮本は星野の存在感をこう表現する。

 「同じ日本代表の監督でも、以前の長嶋(茂雄)さんや王(貞治)さんのように、別格で近寄りがたい存在というわけではない。でも、気軽に話しかけたりできるほど近い存在でもない。星野監督の監督としての妙味って、その距離感にあったような気がしますね」

穏やかな監督の姿に選手は拍子抜けした。

 宮崎の直前合宿。初日の練習のときに内外野の連係プレーでミスが続出した。いつ監督のカミナリが落ちるのか、と選手の間に緊張感が走り、緊張するからまたミスがでるという悪循環が起こった。だが、そんな選手の姿を星野監督はただ静かに見守っていた。

 「星野監督というと怖いっていうイメージだったけど、何も言わないんですよね。このチームでは少なくとも選手を信頼して、任せてくれているという感じがしました」と言ったのは守護神に抜てきされた上原浩治だった。上原だけではなく、他の選手たちもコワモテの星野監督を想像していただけに、実際に行動をともにしてみると、ちょっと拍子抜けしたような穏やかさに驚きを隠せなかった。そんな変身に中日、阪神時代の監督・星野を知る荒木や井端、川上や矢野などは、「全然違うわ……」と連発していたともいう。

 選手を大人扱いして任せきるときには、何も言わずに任せきる。だが、締めるべきときになれば、色々な手を使ってきっちりと締める。そのさじ加減の絶妙さも、星野流だった。

 最大のポイントといわれた韓国戦で起こった「先発メンバー差し替え事件」。国際試合の慣例として事前に交換したメンバーから、韓国が試合開始直前に先発投手を含めて7選手を入れ替えてきた。渡されたメンバー表を見て星野監督は審判団に抗議したが、受け入れられず、ベンチに戻ってきた。監督の目を見たある選手は「ホントに見ちゃいけないものを見たような怖さだった。でも、あの瞬間にベンチの選手は監督の沸騰するような怒りを感じたはず。絶対に負けられない、って改めて思いを強くした」と語っている。

 激闘の末に韓国を破り、そして迎えた台湾との最終戦。「ちょっと選手の間には燃え尽き症候群のようなところがありました」と述懐するのは宮本だった。

 「韓国とあれだけの試合をして勝った。ホッとするなというのはムリな話。おそらく星野監督だって肩の荷を下ろした気持ちになっていたはずです。でも、国際試合って何が起こるか分からない。台湾戦の前は集合時間になっても選手がアップに集まらなかったり、ちょっとそんなムードはあったんですね」

 そんなとき、宮本にトレーナーが星野監督の伝言を伝えに来た。

 「今からもう笑うな!― これから先は笑い顔を見せるな!!」

 円陣が組まれた。その中心で宮本主将から指揮官のメッセージが伝えられた。

 「なんで監督なんか引き受けたんだろうと思うこともあった。韓国戦の前の夜には、このまま逃げ出したいと思うほどのプレッシャーに襲われた。でも、最後にこうして優勝して、北京オリンピックへの出場権を手にすることができた。選手たちには感謝している。今はただただホッとしている」

 五輪出場を決めた記者会見。指揮官はうっすらと瞳を濡らしながら、こう心境を語った。

 選手を殴り、グラウンドで暴れまわった初めての監督時代。それから20年の月日が経って、星野仙一という指導者には内に秘めた激しさと老獪な戦略、そして何より選手たちを信頼して動かす度量が備わった。

 「色々な監督さんを知っていますけど、ひとことで言えば監督らしい監督。僕ら選手が“監督ってこういう存在だな”って思うような監督。それが星野監督でした」

 宮本はつくづくと言った。

 その監督らしい監督の下で、日本代表は北京で最後のオリンピックに臨む。

#星野仙一
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#オリンピック・パラリンピック

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