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ベッカム様は永久に不滅ですか。 

text by

田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

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posted2004/08/26 00:30

 史上空前のブームから1年。またベッカム様が、そして海外クラブが来日する季節がやってきた。親善試合を行うチームの数は、一気に9まで増大。その規模も全国へと拡大した。彼等は何故に招かれ、各地域のファンは如何に反応し、そして何が残ったのか。

 7月18日、梅雨明け間近の仙台では、ラツィオの選手が練習に汗を流していた。昨年のキエーボに続き、イタリアのクラブがこの地を訪れるのは2度目となる。招聘したのは「フォルツァ アズーリクラブ」という民間団体。W杯でイタリアのキャンプを誘致したのも同団体である。事務局長の佐藤章治氏によれば、ラツィオを招いた理由は次のとおりだった。

 「W杯をきっかけにイタリアとは太いパイプができたわけですが、何事も継承しなければ意味はないと思いまして。今ではイタリアからクラブを招くだけでなく、市内のジュニアの選手を向こうのクラブの練習に参加させられるところまでこぎつけました。今年はラツィオに来てもらいましたが、それは手段であって目的ではありません。主眼はあくまでも市民レベルの交流を深めることですから、当然、興行や運営もプロにまかせずにボランティアベースで行っています。来年もイタリアからクラブを招く予定ですし、これからも実績を残して、仙台といえばイタリアが毎年来る街といわれるようにしていきたいですね」

 市民レベルの交流を図るという点では、活動は満点に近い成功を収めている。クラブの会員による歓迎レセプション、子供を対象としたサッカークリニックや公開練習、市長への表敬訪問など、交流のメニューは非常に豊富だ。ラツィオ側の意識も高い。滞在先のホテルでも、選手はいやな顔一つせずにサインのペンを走らせ続ける。メインスポンサーが倒産し主力組の流出が相次いでいるという台所事情もあるのだろうが、選手はファンサービスにも必死になって取り組んでいた。

 翌日行われたベガルタとの一戦は引き分けで、レベル的にも親善試合らしい内容となった。観客数は1万2000人。チケットが比較的高価だったことを考えれば、興行的には一応の成功を収めたといえるだろう。

 ただし気になる点がなかったわけではない。ベガルタのファンが自らの選手に発した「真面目にやれー!」という野次に象徴されるように、スタジアムにはどことなく弛緩した― ――醒めた空気が漂っていたからだ。

 それは市内にもあてはまる。ラツィオの来訪を告知する看板やポスターは皆無に近く、地域全体で盛り上げようという雰囲気は感じられなかった。フォルツァアズーリ クラブが精力的に活動していた分だけ温度差が浮かび上がる。印象的だったのは、乗り合わせたタクシーの運転手がぼそりと呟いた言葉である。

 「私はサッカーを見に行こうとは思わないんですよ。ベガルタは試合を諦めてしまうようなところがあるし、それだったら野球を見たほうがましですから。仙台には昔ロッテがあったし、福祉大出身の佐々木(主浩)や東北高のダルビッシュが頑張ってるでしょう?― サッカーはW杯の時は盛り上がりましたけど、J2に落ちてからは苦しいみたいですね……」

 W杯開催の遺産を活かせるか否か。仙台という街は、野球文化という見えざる敵とも戦わなければならないのかもしれない。

(以下、Number609号へ)

デイビッド・ベッカム

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