Number ExBACK NUMBER
獅子は日本を凝視する。
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
posted2004/07/15 23:17
身近なところにライバルがいれば、その人物や組織は成長するものだ。レアル・マドリーは地球に君臨するために銀河のチームを創り上げたが、野望の根底にはバルセロナを屈服させんとする意識があったことは明白だ。1世紀を超えるサッカーの歴史は、地域や国、民族の敵対の物語であり、優れたチームには、必ずといっていいほど好敵手がいる。
では、日本は。
思えば、中国がワールドカップ初出場を決めたとき、日本のメディアは判で押したように報じたものだ。
〈眠れる獅子が目を覚ました〉
それは、身近なライバルを渇望する潜在意識の表われだったのかもしれない。日本人には、何事においても中国が本気になったら太刀打ちできない、と考える傾向がある。サッカーにも、それは通じるのだろう。だが、それは恐怖というよりも、むしろ期待に近い。
ユーロがいつも白熱するのは、ライバル同士が鎬を削る大会となっているからだ。ポルトガルで開催された今年のユーロには、ヨーロッパの人々が目を丸くするほど大勢の日本人愛好家の姿があった。彼ら、彼女たちは肌で感じたことだろう。敵という敵の存在が、この壮大でハイレベルな大会を創り上げているという、ヨーロッパの幸福を。
アジアにも、それを求めてもいいはずだ。それでは、中国は眠れる獅子なのか、そして目を覚ましつつあるのか。アジアカップの開幕を目前に控えた、かの国の現状とは。
中国という国は、何かと議論が喧しい。サッカー界も例外ではなく、新聞では代表チームやCリーグのレベルアップをテーマに、盛んに討論が繰り広げられている。
ある新聞の投稿欄に、過激な意見が掲載されたことがある。
「強化の近道は、中国代表選手を日本代表に加えてもらうことだ」
隣国の代表チームで鍛えてもらっては、という意見ではない。
「あのどうしようもない連中を、日本に引き取ってもらうんだ。そうすれば、頭の上がらない日本もきっと弱くなって、ウチも勝てるようになるだろう」
中国の人々はサッカーを熱烈に愛しつづけ、不甲斐ない自国の代表に強烈に失望しつづけてきた。それは悲願のワールドカップ出場を果たしたいまも、大して変わるところがない。
ワールドカップにおいて、彼らは単なる通りすがりに過ぎなかった。1ゴールも奪えず、全敗を喫した。奇天烈な衣装に身を包んだ大勢の球迷たち、つまりファンは肩を落としてぶつぶついいながらも、笑顔で韓国から引き揚げていった。なぜなら、桧舞台に立つことができただけで、十分に満足していたからだ。
だが、この大会で極東のライバルは目覚ましい躍進を遂げる。日本はベスト16に進出し、韓国に至っては準決勝にまで勝ち上がった。中国だけが置き去りにされていた。
中国の人々は、韓国には到底勝てないものだと信じ込んでいる。無理もない。実に18年間も代表は勝っていないのだから。敗北の歴史が長くなるほど、それを覆すことは難しくなる。勝てないことが当然だと思い込んで、現状を変えようとする努力を知らず知らずのうちに怠ってしまうからだ。しかし、相手が日本となると事情は少々変わってくる。
人民日報で20年以上、サッカーを担当している汪大昭は、ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら語るのだった。
「かつては日本なんて10試合やれば7つは勝てる、それくらいの相手としか考えられていなかったんです。何かの大会があって、日本と同じグループに入ったときは、これで1勝だ、なんて喜んでいたんですよ。だから、勝ってもニュースになるようなことはなかったんです。それが、Jリーグができてからというもの……」
いまでは、日本に勝つとそれだけで大々的に報道されるのだという。
「この国に恐韓症という言葉があるのは有名ですが、恐日症なる言葉まで浸透してきたことを知っていますか。いまの若いファンは、日本には勝てないと思い込んでいるんです」
ベテラン記者は、日本戦の敗北を甘受する若い世代を歯がゆく思っている。
実際のところ、日中戦の成績にそれほど大きな開きはなく、大差で叩きのめしたり、されたりしたような試合もない。だが、その一方でワールドカップやオリンピック、ワールドユースといった近年の世界大会における実績では、日本が中国を大きく圧倒しているという現実がある。日本が遠くに行ってしまったと感じても、無理からぬことだ。
もっとも、この国のすべてが日本にひれ伏しているわけでもない。
汪大昭は興味深い事実を指摘した。
「実は、恐韓や恐日といった言葉とは無縁の地域があるんですよ」
東北地方の大連である。このサッカー都市を自負する街のチーム大連実徳は、'94年から立ち上げられたCリーグで7度も王座に就き、アジアでも強豪として認知されている。アジア・チャンピオンズリーグにおいても、高い壁として日本勢に立ちはだかってきた。今シーズンも、直接対決こそなかったが、既に姿を消したジュビロ磐田、横浜F・マリノスの日本勢を尻目に、ベスト8進出を決めている。
「大連にはサッカーの豊かな土壌があり、優秀な人材が次々と出てきます。だから、この地方の人々は中国代表なんて必要ない、大連をそのまま代表にしてしまえ、なんて考えているんですよ。メディアにも、それなら一度やらせたらどうだ、という機運が高まりましたが、実現はしませんでした。協会が頑として許可しないですから」
記者は、その理由を次のように説明した。
「東北地方の人々は体格がいいので、パワフルなプレーをする。アジアでは、それが通用するんですよ。でも、アジアでは長所となる彼らの体格やパワーも、世界と戦うときには長所にならない。むしろ、劣ることも少なくないんです。そうなると、まったく勝てなくなってしまう。ですから、大連のスタイルを協会は評価していないのです。それに中国では地方は軽視される傾向にあり、大連の勝利も全国的な影響を及ぼすことができないという現実もありますね」
協会が模範として考えるサッカースタイル、それは実は日本である。
(以下、Number605号へ)