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<地獄から頂点へ> 高橋大輔 「語り継がれる演技をしたい」 ~バンクーバー展望~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byShino Seki

posted2010/02/10 10:30

<地獄から頂点へ> 高橋大輔 「語り継がれる演技をしたい」 ~バンクーバー展望~<Number Web> photograph by Shino Seki

取り組んできた課題の成果が現れた全日本選手権。

 これらの試合で、課題はいくつも浮かび上がった。大会での緊張への対処、スタミナ不足、演技への集中の仕方……。1シーズン離れたことから生じていた。

 だが、高橋は焦りを抑え、飛び散った欠片を集めて一つに形作るように、粘り強く個々の課題に取り組んでいった。

 やがて、一つの成果として結ばれる日がきた。それがバンクーバー五輪代表選考会を兼ねた、昨年12月の全日本選手権であった。

「ショート、フリーを通して、今シーズン、初めて気力を継続して演技することができました。初めて怪我をする前に戻ってきたな、と感じられました」

 その言葉を裏付けるように、ショートとフリーで1位となり、優勝で代表入りを決めたのである。

「すべてを出し切ってもいないのに、やめるわけにはいかない」

 あらためてリハビリに明け暮れた日々を、高橋はこう振り返る。

「無駄な時間じゃなかったんだなと思います。耐え切れたかと言えば、逃げ出したこともあるように、言い切れないところもありますが」

 そして、耐え難い日々を乗り越えられた理由を2つあげた。

「まだ100%納得のいった演技をしたことがない。すべてを出し切ってもいないのに、やめるわけにはいかない」

 それは競技人生を貫く原動力ともなっている思いでもある。

トリノ五輪の高橋にのしかかった“4年に一度”の重圧。

 もう一つは、バンクーバー五輪にどうしても挑みたい、そこでトリノの借りを返したいという強い願いだった。

 4年前のトリノ五輪は、今も苦い思い出として残っている大会である。

 ショートで5位と好位置につけた高橋は、中1日を挟んで迎えたフリーで、プログラム冒頭の4回転ジャンプで転倒する。その後も演技を立て直せないまま9位にとどまり、総合成績も8位と、順位を落として大会を終えることになった。

 結果もさることながら、フリーの失敗は忘れられなかった。

「あのとき、滑る瞬間に、『終わればもう4年後までないんだ』って思ってしまったんです。そのとたん、過緊張になってしまって、体も動かなくなりました」

【次ページ】 五輪の重圧に負けた自分自身へのリベンジのために。

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