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<地獄から頂点へ> 高橋大輔 「語り継がれる演技をしたい」 ~バンクーバー展望~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/02/10 10:30
「大ちゃん、お帰り!」
「お帰りなさい!」
「ようやく帰ってきたね」
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2009年12月26日、全日本選手権の男子が終わった大阪なみはやドーム内に、女性の声が、いくつも、いくつも、やむことなくこだまし続けた。
彼女たちが叫ぶ当の相手、高橋大輔は、どこか安堵感を漂わせ、笑顔で手を振る。
1シーズンの欠場という大きな危機を乗り越えての2年ぶりの全日本優勝は、帰ってきた、という言葉がたしかにふさわしかった。
そしてその優勝は、4年前に掲げた目標を成し遂げるための、過程でもあった。
「いろいろな気持ちが交錯した1年でした」
「いろいろなことがありましたね。落ち込んだり、迷ったり、安心したり、いろいろな気持ちが交錯した1年でした」
競技人生の中でも、最大の危機かもしれなかった1年を、高橋はこう振り返った。
高橋は、まぎれもなく、日本男子フィギュアスケートを代表する選手である。現在だけの話ではない。歴史を踏まえても、そう言うことができる。
実績がそれを物語る。主だったところをあげれば、'07年の世界選手権では日本男子最高となる銀メダルを獲得。'08年の四大陸選手権では、フリースケーティングと総合得点において、国際スケート連盟の公式記録における世界歴代最高得点を記録。総合得点の264.41は、むろん、プルシェンコ(ロシア)がトリノ五輪で金メダルを獲得したときの258.33を上回るものであった。
実績もさることながら、世界屈指のスケーティング技術を土台に、華麗なステップワークを中心とした高橋の演技は、まさに彼だけの世界を作り上げる。観る者は、思わず引きこまれずにはいられない。
世界一を目前にした高橋を襲った致命的な怪我。
そんな、世界のトップフィギュアスケーターの一人である彼を、競技人生を左右しかねないアクシデントが襲う。'08年10月のことだ。
'07年の世界選手権銀メダルのあと、優勝を狙った'08年の同大会は4位にとどまった。再度、世界一を目指して、新しいシーズンに向けて練習に励んでいた矢先だった。トリプルアクセルの練習中、右膝を負傷したのだ。精密検査の結果は、「右足膝前十字靭帯と半月板損傷」。
下半身の関節をフルに使うフィギュアスケートでは、致命的といえる怪我である。高橋自身もそれは理解していた。
「衝撃は……それはもう、大きかったです」
手術を経て、1シーズンまるまる休養してリハビリが始まる。