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小川直也「拭えない総合格闘技への違和感 

text by

平塚晶人

平塚晶人Akihito Hiratsuka

PROFILE

posted2004/07/01 00:00

 倒れ込んだ相手に馬乗りになり、顔面めがけて拳を何度も何度も叩きつける。組み伏せられた男は、逃れようともがくが、ついに白目をむいて失神する。それを4万人の、狂気を帯びた8万個の目が取り囲む。あらん限りの雄叫びとともに。

 PRIDE・GP1回戦、自らの試合を終えた後、控え室のモニターに映るその光景を目にしたとき、小川直也は以前から覚えていた違和感をよみがえらせたという。

 野獣のごとく腕を振り回しているのはケビン・ランデルマン、その下で意識を飛ばしているのは優勝候補のミルコ・クロコップだ。

 廊下からは地響きのような熱狂がじかに伝わってくる。

「こんなもん見て、ファンはほんとに楽しいのかよ……」

 だが、まさにその総合格闘技の舞台に、小川は自らの意思で立っているのだった。

 小川直也が最初にPRIDEのリングに上がったのは'99年7月、「PRIDE6」のゲーリー・グッドリッジ戦においてである。その折、小川は茅ヶ崎にあるボクシングジム「ピストン堀口道場」を訪れ、初めて本格的なパンチの練習を行なった。

 会長の堀口昌彰によれば、当時の小川のパンチは130kgの巨体に任せたモーションの大きなものだったという。重いことは重いのだ。パンチをミットで受けると、堀口は腕を弾かれ、たちまち肩とひじを痛めてしまった。ボクサー相手にはまず起こらないことだ。しかし、どれだけ重いパンチも当たらなければ意味はない。

「前でっ、前でっ」

 振りかぶらずに、腕をそのまま伸ばせ、という意味の掛け声を堀口は絶えず発しなければならなかった。

 さすがだなと感心することもあった。格闘に関する勘のよさである。体の微妙な動きを言葉で説明するのは難しいものだが、堀口が言葉を探していると、小川はいつもその意図を即座に理解し、正確に再現してみせるのだ。

 底知れぬスタミナも驚異だった。回転の速いパンチを10R・30分間叩き続けることは本職のボクサーでもきつい。脂の乗った10回戦選手でも6、7Rこなせればいい方だ。ところが小川は10Rのミット打ちを終えた後もほとんど息を乱さないのだ。

 次に小川が堀口ジムを訪れたのは、それから3年を経た'02年8月、アマレス出身のマット・ガファリを相手に総合格闘技大会「LEGEND」を戦ったときだ。

 どれほどの肉体改造を行なったのか、小川は別人と思えるほど引き締まった体をしていた。

「30代半ばを迎えて、こうもスピードが上がるものなのか」

 威力を減じることなく、キレだけを数段増したパンチに堀口は目を見張ることになる。

 そして今回、PRIDE・GPの出場に当たって3度目の指導をした堀口は「これなら、絶対に当たる」という確信を得ながらパンチを受けた。腕が構えた位置から振りかぶることなく直線的に出る。「前でっ」という声を掛けたのは10R中に数度だけだった。

 キックも含めて、打撃面のトレーニングがスポット的に行なわれてきたのに対し、PRIDEを闘う上でのもうひとつの重要な要素、グラウンド技の鍛錬は日頃のトレーニングの中に組み込まれている。場所は母校、明治大学の柔道場だ。

 畳に上がるとまず、小川は学生を相手に乱取りを始める。この世界に入ってからも、スタミナを維持する練習のベースに小川は一貫して柔道を据えてきたのだ。

 1時間ほど経ち、道着が汗で重たくなる頃、小川はそれを脱いでグラウンド技の習得に移る。もちろん技の下地は柔道の寝技にある。

 明大時代、小川に寝技を徹底的に仕込んだのは当時の柔道部監督、原吉実である。入学当初から立ち技にこそ世界に通用する非凡さを持っていた小川だったが、寝技はからっきしだった。そこで原は、一日5時間の練習のうち2時間を寝技に充てるという異例の指導法をとった。相手を投げ飛ばして小川がいい気になっていると、原はその頭をすかさず殴りつけた。小川はきょとんとしている。

「お前、なんで殴られたかわからんのかっ」

 少し間をおいてから小川は、

「あっ」

 と押さえ込みに入る。

 もともと足が長く、その上器用でもあった小川は三角絞めなどをやらせると見事に締め上げた。そして大学を出る頃には、寝技においても日本でトップクラスの選手に成長していたのである。

 現在、明大道場で小川にグラウンド技を指導しているのも、この原吉実である。それに練習パートナーの藤井克久を加えた3人が、上半身裸になって取っ組み合い、絞め技と関節技を研究する。

 藤井が小川に弟子入りしたのは1年半ほど前のことだ。当時、パンクラスのリングに上がっていた藤井は、仲間うちで、

「小川って、やばいぐらい強いらしい」

 という噂が飛び交うのを耳にしていた。やがて小川が練習相手を求めて若手の何人かに声を掛けたとき、その誘いに応じたのは、藤井ただ一人だった。

 初めて小川とスパーリングをしたときの驚愕を藤井は今も忘れられない。技術うんぬんとは別次元の力強さの前に、藤井は身動きひとつできなかったのだ。それまで、トップレベルの評価を受けている日本人選手と対戦して、こいつ、強えな、と感じたことはあった。しかし、

「おれってこんなに弱かったのか」

 と、思い悩んだのは初めてだった。

(以下、Number605号へ)

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