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スーパーボウル 逆転劇の舞台裏。
text by
渡辺史敏Fumitoshi Watanabe
photograph byYukihito Taguchi
posted2009/02/26 00:00
第4Qが始まったとき、これから起こる展開、特に最後の3分間での波乱を予想できた人はいなかったに違いない。
2月1日、フロリダ州タンパで開催されたNFLの優勝決定戦、第43回スーパーボウルは、第3Qまで一方的な展開となっていた。
立ち上がりから試合の主導権を握っていたのはAFC王者のスティーラーズ。史上最年少の36歳でチームをスーパーボウルに導いたヘッドコーチ、マイク・トムリンが仕立てたゲームプランが当たり、NFC王者カーディナルスに対し、第3Q終了時点で20対7とリードを奪っていた。誰もがもう試合は決まったと感じていただろう。
ここまで点差が開いた要因のひとつは、攻撃時のタイムコントロールのうまさだ。第2Q終了間際に、LBジェームス・ハリソンが史上最長の100ヤードインターセプトTDを奪ったプレーを除けば、スティーラーズの得点はいずれも5分以上の長い時間をかけたものだった。
時間をかけて攻撃すれば、相手守備陣の体力と集中力を奪うだけでなく、相手の攻撃の機会も奪える。第3Qにはカーディナルス守備陣が3度反則を犯したこともあり、実に8分39秒も費やしてFGの3点につなげていた。
対するカーディナルスは自慢の攻撃陣が封じこまれていた。特にエースWRであるラリー・フィッツジェラルド・ジュニアは、第3Qまでたった1回しかパスをレシーブさせてもらえなかったのである。
この試合、最も注目を集めていたのはフィッツジェラルドだった。'04年ドラフト1巡3位指名を受けて入団したフィッツジェラルドは、新人時代にエースWRへと成長。特に今回のプレーオフでは、スーパーボウル前に早くもポストシーズン記録を塗り替える計419ヤードのレシーブを達成すると同時に5TDをあげるなど、弱小といわれたカーディナルス躍進の原動力となっていた。その活躍に、「彼は現在最高のWRか?」という議論が巻き起こったほどだ。
さらに、父シニアがミネソタ州の地元紙で長年コラムを持つスポーツライターであることも注目の原因となっていた。シニアは29回目のスーパーボウル取材で息子を取材する立場となったのだ。ふたりはこの機会を「特別なこと」と語っていたが、特にジュニアに固執することもなく、両チームを淡々と取材するシニアの姿勢は印象的だった。