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メイショウサムソン 義理人情と凱旋門。
text by
石田敏徳Toshinori Ishida
posted2007/10/18 11:22
メイショウサムソンは古武士のような雰囲気を漂わせた馬である。ディープインパクトの末脚を波動砲とすれば、この馬のそれはまるで古の太刀だ。スパッとした切れ味を誇るわけではないけれど、容易には刃こぼれしない。そんな強靭さ、逞しさを感じさせる。
そうした武器もさることながら、この馬にはなぜか“古風なオーラ”が漂う。ちなみに古武士という言葉を広辞苑で引くと、『(剛直で信義に厚い)昔の武士』とある。剛直で信義に厚いとはまさに、メイショウサムソンの“チーム”を、的確に表現した言葉といえる。そう、この馬につきまとう古武士のようなイメージは、オーナーの松本好雄(産業機械分野を幅広く手掛ける株式会社きしろ代表取締役)、そして管理トレーナーの高橋成忠の人となりを反映したものでもあるのだ。
メイショウの冠号で知られる松本は、150頭近い現役馬を所有する大馬主である。預託先の厩舎が40にも及ぶこと、「所有馬が出走しない日はまずない」という事実も、彼が擁する“軍団”の規模を物語っている。ただしそのメイショウ軍団には、明確な特徴を指摘できる。メジャーな良血馬、値段の高そうな馬がほとんど見当たらないことだ。
「僕らは地道な機械屋でしてね。何億もする機械を買うときには様々な角度から、それこそ何年もかけて検討をするんです。そんな本業のことを考えれば、1頭の馬に1億も2億も投資するなんてことは僕には考えられない。そもそも、いくら血統や馬体がよくても“絶対に走る馬なんていない”というのが僕の信条なんです。それなら人との付き合いのなかで馬を選んだほうが楽しみが大きい。僕はそう考えて馬主をやってきました」
馬の仕入れは基本的に調教師に任せきりにしている。調教師の側でも彼の信条をよく呑み込んでいるから、億に手が届くような高馬を勧めてくることはまずないという。親交の深い日高の牧場から頼み込まれて、セリで売れ残ってしまった馬を自分の所有とすることもある。“人との付き合いのなかで馬を選ぶ”とはつまりそういうことである。
馬選びのみならず、レースで乗せる騎手についてもほとんどの場合、松本は調教師に一任している。預託先の厩舎も成績によって選別してきたわけではなく、あくまで“人との繋がり”をベースに広がってきたものだ。
「本業の世界では当然、あいつが好きだから、嫌いだからなんていっておれない局面が多々あります。ビジネスはね、これは命ですから。特に僕はワンマン社長なので、従業員の生活を守るためにもシビアな判断をしなければならない。仕事に対しても相当に厳しい姿勢を求めます。しかし競馬はあくまでも趣味娯楽ですからね。そりゃ確かに、リーディング上位の厩舎に馬を預けて、一流の騎手ばかりを乗せれば効率は上がるのかもしれないけれど、そんな風にしてまで馬主をやる気持ちはありません。今までのお付き合いを大事にして、その中から走る馬が出てきてくれればいいなあというつもりでいます」
1千万円にも満たない価格で購買したメイショウサムソンも、“人との繋がり”のなかで巡り会った馬だった。周知の通りこの馬はもともと、前任のトレーナーである瀬戸口勉が発掘し、今年の2月末に定年を迎えるまで管理していた馬だ。
「3年前、定年を間近に控えていた瀬戸口先生が“最後の世代に社長の馬がいないのは寂しいから”ということで北海道へ馬を探しに行かれたとき、僕と付き合いが深い三嶋牧場の三嶋さんが仲間の牧場から馬を4、5頭集めて、その中から瀬戸口先生が選んだのがメイショウサムソンだったんです。だからこの馬は、みんなが探してくれた馬。自分のやり方を貫いてきた結果、この馬に巡り会えたということではないかと思っています」
そんな風にして出会ったメイショウサムソンは昨年の皐月賞とダービーを快勝、馬主冥利に尽きる歓喜を彼にもたらしてくれた。そして瀬戸口の定年が間近に迫ってきた昨年の暮れ、この宝物のような馬を誰に託するのかという問題が浮上してきたときも、松本はこれまでに歩んできた道に沿って移籍先を選んだ。育んできた絆の深さや人柄、仕事に対する取り組み方などを考慮したとき、メイショウサムソンを預ける相手は「シゲちゃん」しか思い浮かばなかったのだ。
松本が親しみを込めて「シゲちゃん」と呼ぶ高橋成忠は、1978年の厩舎開業以来、今年で30年目を迎えたベテラントレーナーである。騎手時代には5年連続で関西リーディングに輝いた実績も持ち、その頃から「ファンだった」という松本が厩舎開業の際に、押しかけるようにして所有馬を預かってもらったことから二人の付き合いははじまった。
「素晴しい人柄をした馬の職人さん」と松本が評する高橋は、松本と“同じ匂い”がするトレーナーである。たとえば彼の管理馬には、地味な血統の馬が圧倒的多数を占めている。非礼を承知でそのことを本人に尋ねてみると、「調教師としては情けないことなんですけどなあ」と苦笑しながら認めた。
「近頃は大手の牧場が自らお客さんを持っていて、そのお客さんを調教師が紹介してもらうという時代でしょう。でも自分はコツコツと牧場を歩いて、いいなぁと思える馬がいたらそれを馬主さんに買ってもらうというやり方を、なかなか変えられずにここまできてしまった。要は、自分なりの感覚でしか動いてこなかったということなんでしょうな」
大手の牧場や馬主との付き合いを深め、良血の素質馬を回してもらう。成績をあげるためのそんな“早道”には踏み出せなかった。時代の流れに即応できずにきた不器用な調教師の姿が、彼の言葉からは浮かび上がる。とはいえ、そうした人柄も見込んで、メイショウサムソンの移籍先に松本が高橋を指名したことは明らかである。
メイショウサムソンはシゲちゃんにお願いしようと思う──。
昨年の末、メイショウの馬を預かる調教師たちによって結成された親睦会(メイショウ会)の席で松本がそう宣言したとき、高橋は「ビックリした」という。まさか自分に白羽の矢が立てられるとは思ってもいなかったのだ。ずっしりとした重たい責任、そして「他人様から大切な荷物を預かったような感覚」を覚えながら、彼はメイショウサムソンと対峙することになった。
しかしその一方で高橋は“これだけの馬を預けてもらったのだから、新たな勲章を獲らせなければならない”という使命感も強く感じていた。その一心で彼は、春の天皇賞に向けて極めてハードなトレーニングをメイショウサムソンに課し続けた。ただしスパルタ調教は必ずしも、馬に合ったものとはいえなかった。メイショウサムソンは高橋が思っていた以上に“走ることに対して前向きな気性”をしていたためだ。転厩初戦の大阪杯を迎えた時点で馬はすでに、「前哨戦としては仕上がりすぎ」ていた。続く春の天皇賞では「ギリギリいっぱいの状態」だった。メイチの仕上げといえば聞こえはいいけれど、糊しろが1mmもない極限の状態で、馬はレースに臨んでいたわけである。
その反動によるものだろう。エリモエクスパイアとの熾烈な叩き合いに競り勝って春の天皇賞のVゴールを駆け抜けた直後、馬は故障と見紛うような“ヘンな格好”をした。引き上げてきた騎手の石橋守も「ちょっとマズいかもしれない」と故障の可能性を否定しなかった。だから高橋はひとつの責任を果たした安堵感に浸る暇もなく、表彰式にはじまる一連の行事を気もそぞろでこなした後、飛ぶようにして厩舎へ馬を見に行ったという。
幸いにして馬は、故障は起こしていなかった。ただレースの反動で「ガタガタの状態」に陥ってしまっていた。これではとても、宝塚記念には使えないのではないか。一時はそう思わせるほどの状態だったという。しかし驚異的な回復力を示した馬はメキメキと立ち直り、宝塚記念にも使えるメドがついた。
この秋は凱旋門賞に挑戦させたいと思っている──。
半年余りにわたって心の内で熟成させてきた決意を、松本が高橋に打ち明けたのは、ちょうどそんな頃だった。
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