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バスケットボール日本代表 「奇跡への布石」。
text by
小川勝Masaru Ogawa
posted2006/08/17 00:00
ジェリコ・パブリセビッチ監督は、舞台俳優がクライマックスの台詞を謳い上げるように、きっぱりと言い切った。
「このチームには才能があり、ハートがある。私は、この若者たちの努力を無駄にしたくないのです」
この4年間、日本のあらゆる代表チームの中で、バスケットボールの男子日本代表ほど、過酷なトレーニングに耐え抜いてきたチームは、そうはないはずだ。すべては世界選手権のため。日本の入ったB組は8月19日、広島で開幕する。7月22日、代々木第二体育館で行われたキリンカップ最終戦でイランに勝利したあと、パブリセビッチ監督は満員の観衆に向かって、次のように挨拶を締めくくった。
「私たちは、広島で奇跡を起こします」
最新の世界ランクで日本は25位。世界選手権の出場国は24だから、自国開催でなければ当落線上のランクである。
B組で対戦するのはスペイン(5位)、ドイツ(13位)、ニュージーランド(16位)、アンゴラ(17位)、パナマ(34位)。ここで2勝を挙げて、決勝トーナメントに進出するのが「ジェリコ・ジャパン」のミッションである。勝ちを狙えるのはパナマ、アンゴラ、そしてぎりぎりニュージーランドまでだ。世界ランクはU― 19代表の実績なども反映しているため、A代表の実力を正確に示しているとは言えない。34位のパナマにさえ今年NBAのドラフトにかかった選手が1人いる。アンゴラは昨年、現役NBA選手を擁するセネガルに勝ったアフリカ王者だ。
広島で奇跡を起こす、とは、こういった国に勝つことを意味している。
「選手一人一人を比べれば、パナマの方が日本より上です」とパブリセビッチ監督は言う。「だからこそ、日本が決勝トーナメントに行くには『奇跡』が必要なのです」
しかしその奇跡とは、非現実的な幸運ではない。考え得るベストゲームをする、という意味だ。それができれば2勝の可能性はある。現在の日本代表は、史上まれに見る高さと、圧倒的なスタミナで、少なくともディフェンスでは、世界クラスに達しているからだ。
バスケットボールの男子日本代表は、近年、一般的な関心を引くことはなかった。五輪には'76年のモントリオール以来、出場していない。世界選手権には '98年に出ているが、これは佐古賢一、長谷川誠、高橋マイケルといった黄金世代で成し遂げた、31年ぶり3度目の出場だった(参加16カ国中14位)。期待されたこのメンバーでも五輪のアジア予選では5位に終わってシドニー五輪の出場を逃すと、それ以降は、低迷の一途を辿ったと言える。
低迷する日本代表を変えたパブリセビッチの第一手。
そんな中、'03年春、世界選手権に向けて招聘されたのが、クロアチア人のパブリセビッチ監督だった。クロアチアでは、のちにブルズ3連覇に貢献したトニー・クーコッチらを率いて、欧州カップ優勝2回の実績を持つ名将だ。就任後の選手選考基準は明確だった。どんなに上手くても、そのポジションで世界標準の身長に達していない選手は選ばれない。一方、基準を満たしていれば地方の大学からでも選ばれた。チームの骨格ができたのは'04年のこと。この年にそろった後述の6人こそ、ジェリコ・チルドレンと言うべき若者たちだ。
ポイントガードに五十嵐圭(26)と柏木真介(24)。田臥勇太は代表候補を辞退してNBA挑戦の道を選んだが、監督自身の口から田臥待望論が出たことはない。五十嵐のスピード、柏木のノールックパスを見れば「私は現在のガードに満足している」というパブリセビッチ監督の言葉に、納得できるはずだ。
フォワードとガード兼任で、196cmの網野友雄(25)と194cmの桜井良太(23)。日本の得点源であり、圧巻の身体能力で豪快なダンクを決める。そして何と言っても、ジェリコ・ジャパンを過去の代表と違うチームにしているのは、205cmの双子、兄・竹内公輔(21)と弟・譲次(21)の存在だ。この高さで、走れて、3点シュートも打てる。こんな選手は、かつていなかった。
彼らは、所属チームより、代表チームの合宿と強化試合で成長してきたと言える。
ジェリコ・ジャパンの特徴は、第一に、ノンストップで続く積極的なディフェンスだ。ジェリコ語録の中に「選手としてのプライドは、攻撃ではなく、守備の時にこそ見せよう」というのがある。
そのためには、40分間走り続ける体力が必要になる。その養成に、パブリセビッチ監督は高地トレーニングを採り入れた。'03年以来、毎年夏に約1カ月行ってきた欧州遠征の中で、前半の約2週間は、標高1500mのスロベニア・ログラで合宿。強化メニューはザグレブ大学体育学部の教授に依頼した。全員が詳細な体力測定を受け、その結果に合わせて毎年違ったメニューを組んでいる。今年の内容は4年間で最高レベルのもの。メニューの合い間に脈拍を取って、トレーニング効果と体調を確認しながら行われたが、特にきつい「250mの上り坂ダッシュ4本」では、柏木と桜井の心拍数は、生理的限界に近い1分間190に達したという。
「そこまで自分を追い込める選手は、めったにいません。彼らを指導できて、本当に誇りに思います」とパブリセビッチ監督。
ディフェンス力の向上は、今年の欧州遠征の後半、イタリアで行われた4カ国対抗から見られた。7月1日、ロケッツの姚明を除くベストメンバーの中国(14位)に75― 80と惜敗。216cmの元ヒートの王治?には44点取られたが、それ以外の選手のシュートは計31本のうち成功12本で、39%に抑え込んだのである。
帰国後、イラン(37位)と2勝1敗に終わったキリンカップでも、その成果は感じられた。敗れた第2戦も含め、第4Qに好守備を見せたからだ。特に第1戦は、第3Q終了時の50― 50から、第4Qに入ると疲れの見えたイランに積極的にプレッシャーをかけ、残り4分45秒以降は、苦し紛れのシュートを6本許しただけで2失点に抑えた。75― 60の勝利に結びつける素晴らしいディフェンスだった。
第4Qに限れば、敗れた第2戦も19― 18、第3戦15― 15と、いずれもよく守っている。
あとは、どれだけ点を取れるかだ。オフェンスに関してパブリセビッチ監督は、若い選手に、基本のディテールから教えてきた。例えばガードが相手ディフェンスと対峙した時、ドリブルしながら、どちらの足にどれくらい体重をかけ、相手の反応を見るべきか、といった細部だ。柏木は「日本では、ドリブルといえば、クロスオーバーとか、バッククロスとか、そういう『形』ができるようになれば、それ以上のことは教わらなかった」と言う。ジェリコ・ジャパンでは、基本技術においても、世界標準を追求してきたわけだ。
世界選手権で使う具体的な攻撃パターンについて、監督は語っていない。しかし結局のところ、日本の得点を左右するカギは、速いパス回しからの3点シュートである。センターは、一番高い伊藤俊亮(27)で202cmだからゴール下では点は取れない。キリンカップでも、負けた第2戦は3点シュートが19本のうち3本しか入らず成功率16%だった。この確率では世界選手権で勝つことは難しい。第3戦では網野が大当たりして6本中4本を決め、チームとしても 44%だった。このあたりが、日本にとっての「ベストゲーム」の基準ラインだろう。
'98年の世界選手権で3点シュート成功率大会No.1を記録したベテラン、折茂武彦(36)が今春代表に復帰して駒はそろった。4月から9回の国内合宿、高地トレーニングを含む1カ月の欧州遠征、計11試合の強化試合。すべては8月に、最高のパフォーマンスをするためにやってきた。どんな結果で終わるにせよ、我々は、現在の日本バスケットボールのリアルな姿を、世界選手権で見ることになる。